炎の怪人 ―式場隆三郎展「腦室反射鏡」(練馬区立美術館)

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「腦室反射鏡」というキャッチーなサブタイトルといい、気合入りまくりのポスター。

局地的に話題になっている式場隆三郎展を観に中村橋へ。

横尾忠則状況劇場のようなポスターにそそられたけれど、そもそも式場隆三郎って誰?

 

式場隆三郎(しきば りゅうざぶろう 1898-1965)

現在の新潟県五泉市に生まれ、新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)に学んだ精神科医であった。医業のかたわら、民藝運動ゴッホ論、精神病理学入門、性教育書に至る驚くべき健筆をふるい、生涯の著書は約二〇〇冊に及ぶ。ゴッホ複製画展や山下清展などの事業も手がけ、広範な大衆の関心と趣味を先導した。      (練馬区立美術館パンフレットより引用)

 

新潟県は保守的なくせに(だからか?)、ときどき超個性的な才能の持ち主を輩出するのだけど……膨大な展示を前に、「怪人二十面相は実在した」と確信した。しかも新潟に。そのカ偉業や如何に。

 

 ①新潟市での医学生時代に白樺派に傾倒して同人誌『アダム』を創刊。武者小路実篤

 柳宗悦との知遇を得て、白樺派新潟支部を立ち上げたり講演会を主催したが飽き足り

 ず、上京して開業医になる。 

 

 ②柳宗悦の木喰仏調査に協力し、民藝運動の初期から参画する。月刊雑誌「民藝」創刊

 メンバー。

 

 ③精神科医としての立場からゴッホ精神病理学的な研究を手がけ、著書、翻訳を三十

 冊以上出版する。劇団民藝の「炎の人」の制作、広報に協力していた縁から、ヨーロ

 ッパで買い付けたゴッホの複製画展を全国のデパートで巡回。日本人のゴッホ好き&

 いわゆる「天才と狂人は紙一重」な芸術観の素地を作り上げる。

 

 ④理事を務めた障害児施設「八幡学園」で山下清の才能を見出し、「裸の大将・山下

 清」のプロデュースを手がける。また、日本精神神経学会で発表された草間彌生の初

 期作品に感銘を受け、東京でのデビューを全面的に支援。

 

⑤日本で初めてマルキ・ド・サドを紹介し、伝記小説を翻訳(すぐ発禁)。三島由紀夫

 の『サド侯爵夫人』『夜の向日葵』は、式場の同名の著作からタイトルを頂戴したも

 の(!)

 

 ⑥精神科医としては、千葉県市川市に精神科専門病院・式場病院を創立(1936年)、

 現在に至る。

 

 ⑦東京・深川に精神障害者が建てた奇怪な住宅建築「二笑亭」を、『二笑亭奇譚』

 (1938年刊)で広く世間に紹介する。

 

終戦後、カストリ雑誌にも旺盛に執筆。『人妻の教養』『結婚の饗宴』『独身者の性

 生活』といった著作でジャーナリズムの寵児になる。

 

⑨さらに、伊豆にリゾートホテル(ホテル・オームロ)を建てたり、日本ハンドボール

 協会会長としても活躍。 

 

展示室にはその活動を網羅すべく、三島由紀夫小林秀雄の書簡、新潟医専で収集したゴッホ関連の蔵書、サド関連著作(装丁は東郷青児)、民藝関連の著作などなど多数の資料が中心。芹沢銈介装丁のゴッホ研究書や、東郷青児装丁のサド関連著作の書籍の美しさにため息。

 

精神病理研究をめぐる資料としては、『仮面の告白』を出した頃の三島由紀夫の手紙など、性的な悩みが赤裸々に綴られた原稿用紙が全文展示されていたけれど、これって精神科医・式場博士宛に書かれた超プライベートな手紙では……。

他にも戦前の新潟脳病院や八幡学園の患者の絵日記やちぎり絵作品が実名入りで展示してあったけど、プライバシー配慮などどうやってクリアしていたのだろう?(都立松沢病院を創立した呉秀三の著作『精神病者私宅監置の実況』では、百年前の患者の住所は一部伏字で記載してある)

 

一方で、いわゆる美術品は全体の一割程度ではないだろうか。山下清草間彌生の初期作品とともに長谷川利行の裸婦像が一点あったのも興味深かった。2018年の長谷川利行展を観たときに、精神福祉の視点からも論じられるべき画家ではないかと感じたのだけど、「日本のゴッホ山下清)」を世に出した式場の眼には、やはり日本のゴッホになぞらわれる長谷川利行精神疾患と芸術の交差する症例の一人だったのだろうか。

 

驚いたのは、ゴッホ複製画が三十点ほど展示されていたこと。現代ではほとんど価値がないだろうに、よく保管してあったものだ(式場病院で展示しているらしい)。

昭和29年当時の複製画展のポスターからは、当時の大衆が夢中になったであろう、時代の熱気が伝わってくる。この複製画展の成功は小林秀雄に『ゴッホの手紙』を書かせ、1958年に東京国立博物館での日本で初めてのゴッホ展開催につながったという。

 

膨大な資料だけでも圧倒されるが、出口付近に展示されている式場デザインの「ゴッホグッズ」に至っては開いた口が塞がらない。

日本の民藝のよさを海外に啓蒙するためデザインしたというゴッホ柄の浴衣やワンピース、法被、掛軸がずらり。しかも現代でもミュージアムショップで販売したら絶対売れそうなくらい、モダンでユニークなデザイン。再販したらいいのに。

 

まあ、プロデューサーといえば聞こえはいいけど、地方の医専出身だし、ちょっと山師っぽい要素も感じられるので、そこがアカデミズムの世界では評価されてこなかったのかもしれない。

式場本人はきっと好奇心と社交性を推進力に、面白そうと思ったものにどんどん手を出し、時代の空気を敏感に取り入れているうちに芋蔓式に活動が広がり、結果的に一人で何回分もの人生を生ききったのではないだろうか。

教育の場では、式場のように多彩な活動をしたカ偉人のことも取り上げたらいいのではないかと思う。コロナ禍であらゆる「常識」にもとづく予測が困難になった現在、式場の生き方は、きっとものを考えるときのヒントになるはずだ。

 

あまりに衝撃的なので久々に図録を買おうとしたら、新潟市美術館で制作中だという。

美術館にメールで問合せたところ、学芸員とおぼしき方からさっそく返信があり、刊行時期等の詳細は未定だが完成したら連絡しますとのこと。

巡回展終了一か月前にして、最後まで驚きっぱなしの「腦室反射鏡」だった。

 

式場隆三郎展は、広島市現代美術館新潟市美術館を巡回し、練馬区立美術館で12月6日(日)まで開催中。土曜の午後でもガラガラなので、お近くにお住まいの方、GoToで上京予定の方は、この機会にぜひ。

 

広島市現代美術館「おうちで式場展」

www.hiroshima-moca.jp