銕仙会 六月定期公演
能「船橋」
シテ 浅見 慈一
ツレ 谷本 健吾
ワキ 大日方 寛
ワキツレ 舘田 善博
アイ 山本東次郎
笛 寺井 宏明
小鼓 古賀 裕己
大鼓 柿原 光博
太鼓 助川 治
地頭 浅井 文義
後見 浅見 真州
シテ 浅見 慈一
ツレ 谷本 健吾
ワキ 大日方 寛
ワキツレ 舘田 善博
アイ 山本東次郎
笛 寺井 宏明
小鼓 古賀 裕己
大鼓 柿原 光博
太鼓 助川 治
地頭 浅井 文義
後見 浅見 真州
(6月11日(金)宝生能楽堂)
今月の銕仙会は中堅による渋い番組だったせいか見所は7割ほどの入りだったけど、いずれも手がたい感じで面白い舞台でした。
「籠太鼓」
シテ・ワキ・アイのキャスティングがグーな舞台でした。
口論の末に同僚を殺して脱獄した夫の替わりに、夫の主人によって牢に入れられた人妻が狂乱の体を装って主人の心を動かし、ついには夫婦ともに許しを得る、という世話物的なオハナシ。
シテはなかなか手堅い演技力の持ち主で、したたかな中にも年増の人妻の色香を感じさせる謡。主人の許しを得るまでのプロセスにとっても説得力があって、これは見習わなくちゃね!(笑)
村瀬提演じる主人も見るからに若くてマジメな領主といった感じで、もしかして、この主人は年上の(?)人妻のしたたかさに気がつきながらも彼女に惚れちゃったのかも。
久しぶりに森澤さんの元気なお姿を見られた(聴けた)のも、ちょっとうれしかったです♪
シテ・ワキ・アイのキャスティングがグーな舞台でした。
口論の末に同僚を殺して脱獄した夫の替わりに、夫の主人によって牢に入れられた人妻が狂乱の体を装って主人の心を動かし、ついには夫婦ともに許しを得る、という世話物的なオハナシ。
シテはなかなか手堅い演技力の持ち主で、したたかな中にも年増の人妻の色香を感じさせる謡。主人の許しを得るまでのプロセスにとっても説得力があって、これは見習わなくちゃね!(笑)
村瀬提演じる主人も見るからに若くてマジメな領主といった感じで、もしかして、この主人は年上の(?)人妻のしたたかさに気がつきながらも彼女に惚れちゃったのかも。
久しぶりに森澤さんの元気なお姿を見られた(聴けた)のも、ちょっとうれしかったです♪
「地蔵舞」
以前、国立能楽堂の食堂で見かけた東次郎がとても小柄なのに驚いたことがあるけど、それだけ舞台での存在感が大きい演者だということ。地蔵舞の後半は小謡あり舞ありと芸尽くしの曲で、東次郎のハコビを観ていると、能舞台が彼の身体の一部のようにフレキシブルな空間に見えてくる。でも今回は「船橋」のアイ語りの方が印象に残った。
以前、国立能楽堂の食堂で見かけた東次郎がとても小柄なのに驚いたことがあるけど、それだけ舞台での存在感が大きい演者だということ。地蔵舞の後半は小謡あり舞ありと芸尽くしの曲で、東次郎のハコビを観ていると、能舞台が彼の身体の一部のようにフレキシブルな空間に見えてくる。でも今回は「船橋」のアイ語りの方が印象に残った。
佐野の里に住む相愛の男女が、夜ごと船橋を渡って逢瀬を重ねる。これを嫌った二親に密かに橋板を外され、そうとは知らない二人は水底に沈んでしまう・・・。報われない恋の物語。
シテは代々木果迢会の慈一さん。前場でツレ(彼女)と一緒に現れた前シテは、たもとに浅黄の浪模様をあしらった海松(みる)色の直垂に、白大口姿。小柄ながら端正で上品な雰囲気のシテによく似合っていたと思います。ツレは真紅の鬘帯・唐織着流姿のうら若い乙女で、お能版ロミオとジュリエットといった趣のカップルでした。
前場は「東路の佐野の船橋とりはなし 親し離(さ)くれば 妹に逢はぬかも」という古歌の由来となった恋の悲劇を語る場面で台詞が多いのですが、やわらかい中にも芯のしっかりした謡で聴きやすかったです。ワキが強い謡い方をするタイプなのだけど、シテは気張らずむしろ抑え気味の謡い方だったように思います。
前場は「東路の佐野の船橋とりはなし 親し離(さ)くれば 妹に逢はぬかも」という古歌の由来となった恋の悲劇を語る場面で台詞が多いのですが、やわらかい中にも芯のしっかりした謡で聴きやすかったです。ワキが強い謡い方をするタイプなのだけど、シテは気張らずむしろ抑え気味の謡い方だったように思います。
この日のアイは東次郎で、野村家に比べるとずっとシンプルだけど、お寺の古い絵巻をゆっくり広げていくような視覚的な語り。東次郎の語る、二人が川に落ちたときの状況もせつないけど、「鳥は無し」がまた救いのないお話なんです。
まさか二人が死ぬとは思っていなかった二親は必死で死骸を探すけど見つからず、「鶏を船に乗せて探せば死骸の上で鳴く」というまじないを聞くものの、佐野の里には鶏がなかった。だから「佐野の船橋『とりはなし』」は、「取り離し」と「鳥は無し」という意味なのだ、と。
この「佐野には鳥がなかった」というくだり、二人は親たちの手の届かない、そして永遠に陽の光の差すことのない、暗く冷たい水底の異界に沈んでしまったのだ・・・という、やりきれない思いが濃くにじんでくるようなのが、さすがでした。
まさか二人が死ぬとは思っていなかった二親は必死で死骸を探すけど見つからず、「鶏を船に乗せて探せば死骸の上で鳴く」というまじないを聞くものの、佐野の里には鶏がなかった。だから「佐野の船橋『とりはなし』」は、「取り離し」と「鳥は無し」という意味なのだ、と。
この「佐野には鳥がなかった」というくだり、二人は親たちの手の届かない、そして永遠に陽の光の差すことのない、暗く冷たい水底の異界に沈んでしまったのだ・・・という、やりきれない思いが濃くにじんでくるようなのが、さすがでした。
やがて再び橋掛かりに現れた後シテは、はなだ色と緑茶色の襟を交互にのぞかせた黄金色の厚板の上に、横糸の繊維を粗く織り出した和紙のような質感の白い絽(?)の直垂を重ねた黒の半切姿。おどろに乱れた黒頭の下は痩男を若くしたような顔立ちの「筋男」。これが本当にたったいま冷たい水の中から上がってきたばかりような姿で、黄金を透かした白い直垂は薄氷が体に張りついているような質感だったし、床のライトの反射で、筋男が濡れ濡れと光っているのも生々しい感じです。ツレは中入せず後見座に後ろ向きで座していたので前場のままの姿です。
シテは相当気合が入っていて、後場では高めに声を張った力強い謡い方。地謡はもうすこし厚みがあってもよかったかなあ。あえてそうしているのか、シテとツレのテンションの差が大きくて、男の方が業が深かったような印象です。「船橋」はとにかくシテの台詞が多いし、後場は川に落ちる場面に向かって渦を巻くようにだんだん力強く舞っていき「かつぱと落ちて沈みけり」で飛び上がって安座するので、相当体がきく人でないとつとまらないと思うけど、シテが最後までテンションの高さをキープし続けていて面白かったです。
こういう暗~い曲、私好みかも♪
シテは相当気合が入っていて、後場では高めに声を張った力強い謡い方。地謡はもうすこし厚みがあってもよかったかなあ。あえてそうしているのか、シテとツレのテンションの差が大きくて、男の方が業が深かったような印象です。「船橋」はとにかくシテの台詞が多いし、後場は川に落ちる場面に向かって渦を巻くようにだんだん力強く舞っていき「かつぱと落ちて沈みけり」で飛び上がって安座するので、相当体がきく人でないとつとまらないと思うけど、シテが最後までテンションの高さをキープし続けていて面白かったです。
こういう暗~い曲、私好みかも♪
(※上の写真は雨の日の「レアンドロのプール」の水面を、水底から見上げたショット)