近況

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コメダ珈琲のかき氷

大変ご無沙汰してしまいました。

年明けから「通常の繁忙期」に加えて新型コロナウイルス感染対策で業務量が増え、ゴールデンウィークも返上という有様で、慌ただしくしていました。

わたしの職場では昨年7月以降の在宅勤務は一切していませんが(運用上は可能だけど経営層の判断で)、今のところは少なくとも発症はしておらず、でもワクチン接種券が届くのは6月末以降なので、夏休み期間の人流拡大までに2回目の接種が済むかどうか……。

 

仕事自体の忙しさはともかく、人工過密な都会で通勤以外の外出がなかなかできない生活はストレスフルで、そのせいか社会の不寛容さが表出したような事件が増えているように思える。

こんな閉塞的な状況でもなんとかやっていけるのは、夫とほぼ毎晩一緒に食事をしてあーだこーだと喋っていること、地元の大型書店と図書館で本には不自由していないこと、たまには良質の展覧会を観に行けることに尽きる。これが飲み会やスポーツ観戦や野外フェスとかで仲間とウェーイと盛り上がるのが趣味だったらかなりしんどい生活だと思う。社交的な性格じゃなくてよかった。

 

トーハク(東京国立博物館)では昨日まで「鳥獣戯画」展をやっていて、今回は全巻展示で三密必至だから対策として「動く歩道」を設置したとのこと。鑑賞者はレーンに乗ってノンストップで鳥獣戯画のすべてを観られますよというわけ。

「鳥獣から見たら人間回転寿司みたいかもね。なんだかなあ」と言ったら、夫が一言

「日常が鳥獣戯画なんだから、今回はわざわざ観に行かなくてもいいんじゃないの」

 

そんなわけで、鳥獣戯画展はパスしたけれど、オリパラの前に「国宝 聖林寺十一面観音 -三輪山信仰のみほとけ」展には行きたい。7月に入ったら平日に振替休日を取って二人で観に行くぞ。白洲正子『十一面観音巡礼』でも読んでおこうかな……と思うこの頃である。

 

新年

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築100年の窓から

新年おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

去年はコロナに加えて、個人的にも手術で入院したり足首骨折したりして、本当にたいへんな思いをしたので、今年はなにより健康第一でいきたいと思っています。

最近はいろいろ思うところもあってアナログな日記を書いてはいるのですが、去年のようにならないようにここも更新していくことにします。

たとえ短文でも、ほとんど誰も読まないブログであっても、外に向かって書いていかないと……。

 

写真は7年前にひとり旅で訪れた古いビルから撮ったもの。

ずっと行きたかった場所なのに短い時間しか滞在できず、今度はゆっくり訪れようと思っているうちにずいぶん遠い場所になってしまった。その瞬間瞬間を大切に過ごさなくてはいけなかったのにと、痛切に思いおこされるショット。

こんなときだからこそ、人や場所、知識との出会いを大切にしていきたいと思っています。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

炎の怪人 ―式場隆三郎展「腦室反射鏡」(練馬区立美術館)

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「腦室反射鏡」というキャッチーなサブタイトルといい、気合入りまくりのポスター。

局地的に話題になっている式場隆三郎展を観に中村橋へ。

横尾忠則状況劇場のようなポスターにそそられたけれど、そもそも式場隆三郎って誰?

 

式場隆三郎(しきば りゅうざぶろう 1898-1965)

現在の新潟県五泉市に生まれ、新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)に学んだ精神科医であった。医業のかたわら、民藝運動ゴッホ論、精神病理学入門、性教育書に至る驚くべき健筆をふるい、生涯の著書は約二〇〇冊に及ぶ。ゴッホ複製画展や山下清展などの事業も手がけ、広範な大衆の関心と趣味を先導した。      (練馬区立美術館パンフレットより引用)

 

新潟県は保守的なくせに(だからか?)、ときどき超個性的な才能の持ち主を輩出するのだけど……膨大な展示を前に、「怪人二十面相は実在した」と確信した。しかも新潟に。そのカ偉業や如何に。

 

 ①新潟市での医学生時代に白樺派に傾倒して同人誌『アダム』を創刊。武者小路実篤

 柳宗悦との知遇を得て、白樺派新潟支部を立ち上げたり講演会を主催したが飽き足り

 ず、上京して開業医になる。 

 

 ②柳宗悦の木喰仏調査に協力し、民藝運動の初期から参画する。月刊雑誌「民藝」創刊

 メンバー。

 

 ③精神科医としての立場からゴッホ精神病理学的な研究を手がけ、著書、翻訳を三十

 冊以上出版する。劇団民藝の「炎の人」の制作、広報に協力していた縁から、ヨーロ

 ッパで買い付けたゴッホの複製画展を全国のデパートで巡回。日本人のゴッホ好き&

 いわゆる「天才と狂人は紙一重」な芸術観の素地を作り上げる。

 

 ④理事を務めた障害児施設「八幡学園」で山下清の才能を見出し、「裸の大将・山下

 清」のプロデュースを手がける。また、日本精神神経学会で発表された草間彌生の初

 期作品に感銘を受け、東京でのデビューを全面的に支援。

 

⑤日本で初めてマルキ・ド・サドを紹介し、伝記小説を翻訳(すぐ発禁)。三島由紀夫

 の『サド侯爵夫人』『夜の向日葵』は、式場の同名の著作からタイトルを頂戴したも

 の(!)

 

 ⑥精神科医としては、千葉県市川市に精神科専門病院・式場病院を創立(1936年)、

 現在に至る。

 

 ⑦東京・深川に精神障害者が建てた奇怪な住宅建築「二笑亭」を、『二笑亭奇譚』

 (1938年刊)で広く世間に紹介する。

 

終戦後、カストリ雑誌にも旺盛に執筆。『人妻の教養』『結婚の饗宴』『独身者の性

 生活』といった著作でジャーナリズムの寵児になる。

 

⑨さらに、伊豆にリゾートホテル(ホテル・オームロ)を建てたり、日本ハンドボール

 協会会長としても活躍。 

 

展示室にはその活動を網羅すべく、三島由紀夫小林秀雄の書簡、新潟医専で収集したゴッホ関連の蔵書、サド関連著作(装丁は東郷青児)、民藝関連の著作などなど多数の資料が中心。芹沢銈介装丁のゴッホ研究書や、東郷青児装丁のサド関連著作の書籍の美しさにため息。

 

精神病理研究をめぐる資料としては、『仮面の告白』を出した頃の三島由紀夫の手紙など、性的な悩みが赤裸々に綴られた原稿用紙が全文展示されていたけれど、これって精神科医・式場博士宛に書かれた超プライベートな手紙では……。

他にも戦前の新潟脳病院や八幡学園の患者の絵日記やちぎり絵作品が実名入りで展示してあったけど、プライバシー配慮などどうやってクリアしていたのだろう?(都立松沢病院を創立した呉秀三の著作『精神病者私宅監置の実況』では、百年前の患者の住所は一部伏字で記載してある)

 

一方で、いわゆる美術品は全体の一割程度ではないだろうか。山下清草間彌生の初期作品とともに長谷川利行の裸婦像が一点あったのも興味深かった。2018年の長谷川利行展を観たときに、精神福祉の視点からも論じられるべき画家ではないかと感じたのだけど、「日本のゴッホ山下清)」を世に出した式場の眼には、やはり日本のゴッホになぞらわれる長谷川利行精神疾患と芸術の交差する症例の一人だったのだろうか。

 

驚いたのは、ゴッホ複製画が三十点ほど展示されていたこと。現代ではほとんど価値がないだろうに、よく保管してあったものだ(式場病院で展示しているらしい)。

昭和29年当時の複製画展のポスターからは、当時の大衆が夢中になったであろう、時代の熱気が伝わってくる。この複製画展の成功は小林秀雄に『ゴッホの手紙』を書かせ、1958年に東京国立博物館での日本で初めてのゴッホ展開催につながったという。

 

膨大な資料だけでも圧倒されるが、出口付近に展示されている式場デザインの「ゴッホグッズ」に至っては開いた口が塞がらない。

日本の民藝のよさを海外に啓蒙するためデザインしたというゴッホ柄の浴衣やワンピース、法被、掛軸がずらり。しかも現代でもミュージアムショップで販売したら絶対売れそうなくらい、モダンでユニークなデザイン。再販したらいいのに。

 

まあ、プロデューサーといえば聞こえはいいけど、地方の医専出身だし、ちょっと山師っぽい要素も感じられるので、そこがアカデミズムの世界では評価されてこなかったのかもしれない。

式場本人はきっと好奇心と社交性を推進力に、面白そうと思ったものにどんどん手を出し、時代の空気を敏感に取り入れているうちに芋蔓式に活動が広がり、結果的に一人で何回分もの人生を生ききったのではないだろうか。

教育の場では、式場のように多彩な活動をしたカ偉人のことも取り上げたらいいのではないかと思う。コロナ禍であらゆる「常識」にもとづく予測が困難になった現在、式場の生き方は、きっとものを考えるときのヒントになるはずだ。

 

あまりに衝撃的なので久々に図録を買おうとしたら、新潟市美術館で制作中だという。

美術館にメールで問合せたところ、学芸員とおぼしき方からさっそく返信があり、刊行時期等の詳細は未定だが完成したら連絡しますとのこと。

巡回展終了一か月前にして、最後まで驚きっぱなしの「腦室反射鏡」だった。

 

式場隆三郎展は、広島市現代美術館新潟市美術館を巡回し、練馬区立美術館で12月6日(日)まで開催中。土曜の午後でもガラガラなので、お近くにお住まいの方、GoToで上京予定の方は、この機会にぜひ。

 

広島市現代美術館「おうちで式場展」

www.hiroshima-moca.jp

治部煮モドキ

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せめて九谷の器を使ってみたい

8月までの約4カ月半ほど、週2回ほどの在宅勤務を続けていた(現在は解除)。

緊急事態宣言解除までの約1カ月半、週末のスーパーは一家総出の買い物客で通常以上に混雑していたので、買い物は週2回、平日の昼休みにメモを見ながらそそくさと走り買いで済ませた。

 

買い忘れ防止のため、ノートに3,4日分の献立と買い物メモをつけてから出かけていたが、気がついたら何十ページもの料理日記になっていた。料理を休んでいたのは入院に係る一連の三週間ほど。それでも退院の3日後には出来合いの総菜の味つけが濃く感じられて、夫に食材を買ってもらいスープくらいは作っていた。

緊急事態宣言から4か月後には早くも『コロナ禍日記』(タバブックス)が書店に並んでいたが、私の料理日記も感染防止のための行動様式の変更がきっかけになり、外食に行けないストレスをレパートリーの開拓で昇華していたという意味では、コロナ禍の生活を反映しているといえるだろう。

 

写真は給料日前のエコ料理「治部煮モドキ」。

いわずと知れた金沢の郷土料理だけど、鴨肉ではなくて鶏むね肉で代用。パサつかないように片栗粉をしっかりまぶして、酒、みりん、しょうゆ、三温糖、和風だし(あごだしを使用)の合わせ調味料で煮るだけ。

 

数年前まで毎年のように冬の金沢を訪れていた私からすると、鴨と鶏(それもむね肉)の違いは歴然で、煮汁の味つけも金沢のそれはこってりと甘かった記憶がある。

都内の一般家庭で本格的な治部煮を作るには、鴨鍋用の肉をお取り寄せするしかないけれど、金沢の一般家庭では鴨を使っているのだろうか?

 

ただ、「加賀料理」を引き合いに出さなければ、家庭料理として充分おいしく味わえる一品で、夫はヘルシーでおいしいと喜んでいた。何よりお財布にやさしい(笑)。

 

こうした「〇〇料理モドキ」は、マンネリになりがちな食卓に彩りを添えてくれるので、一部食材の置き換えなどで工夫しながら続けていきたい。

 

翡翠

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大安吉日を待って新しい財布をおろした。今年の誕生日プレゼント。

 

新しいお財布は、日本の職人さんが国産皮革で作っている『Epoi』というブランドの二つ折り財布。

シンプルで上品なデザイン、豊富なカラーバリエーションには日本の伝特色にちなんだ名前がつけられており、ほぼ一目惚れだった。私の場合、服や雑貨などデザイン性の強いアイテムは直感で決めた方がいいみたい。

実店舗に足を運び、さんざん迷いに迷った末に選んだ色は「ひすい」。Epoiは淡色や中間色の発色を得意としているようで、淡いブルーグレーの「うすはな」や微妙なグレージュの「あくいろ」が人気らしい。私も「ひすい」と淡いテラコッタのような「かわらけ」の二択で最後まで悩んで、結局「ひすい」に落ち着いた。

 

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みずいろに近いみどり、と書くとターコイズブルーのようだけど、もっと静謐な色合い。東山魁夷にこんな色の湖が描かれている画があったような気が……。

ちいさなタッセルがついていて、センスのよさを感じさせる。

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カード入れは他に2箇所あり、最大8枚入る。今の私にはこれで充分。

 

お気に入りのFURLAのロイヤルブルーの長財布は、まだ状態もいいから、お手入れした後布に包んでしばらくお休みさせておこう。

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『オーケストラ解体新書』(読売日本交響楽団編/中央公論新社/2017年)

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屋上庭園で一気読み

本書は読売日本交響楽団(以下、読響)を俎上に、楽団員と事務局、関係各社がどのように演奏会を作り上げていくのかを追ったルポルタージュ

 

オケの内側を紹介するというジャンルは、NHK交響楽団正指揮者・岩城宏之(故人)の『オーケストラの職人たち』(文春文庫・2002年)やN響楽団員のエッセイなどの類書があるので、オーケストラに関心がある人ならすでに知っている内容もあるけれど、それはどちらかというと「演奏家側」からの視点によるものだ。本書の特徴は、なんといっても事務局からみた運営業務の紹介に多くのページを割いているところだろう。

 

その一例として取り上げられているのが2016年10月に行われた読響の第563定期公演(指揮:シルヴァン・カンブルラン/ヴァイオリン:五嶋みどり)。

 

前年2月の常任指揮者カンブルランと事務局による打合せからコンサートの企画が始まる。まず、コンサートのコンセプトおよびメインとなる曲(デュティユー 交響曲第2番)を決定し、プログラムに組み合せる曲の選定とソリストの出演交渉、ソリスト五嶋みどり)からの提案によるプログラム案の一部変更・決定、10月にプログラム発表&前売開始…といった具合に進行していく様子が描かれている。

私は読響のコンサートに行ったことはないので、N響に置き換えて読んでいたが、プログラム選定の匙加減(常任指揮者のレパートリーである現代音楽をメインにした場合、チケットの売行きを勘案して集客力のあるソリストを招く等)が垣間見られるのが面白い。私も含め、マニアというほどではない聴衆からすれば、聴いたことのないゲンダイオンガクだらけのプログラムでは二の足を踏むことも見通して企画しているのである。

そういえば、ずいぶん前にフィンランドの若手指揮者ムストネンを迎えたN響定期公演で、前半にムストネン自作の小品と弾き振りによるベートーヴェンの協奏曲、後半はシベリウス交響曲に安定の『フィンランディア』というプログラムを聴いたことがあるけど、もしかするとあれも自作を発表したいムストネンとのトレードによる抱き合わせプログラムだったのかもしれない。

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とはいえ、今でこそよく演奏されるマーラーストラヴィンスキーだって、発表当時の評判は散々だったのだ。たとえ抱き合わせ商法であろうと、同時代の音楽を聴く(聴かされる)ことで引き出しが増え(かもしれない)、次の100年にその音楽が引き継がれていく意義がある(可能性もある)。

 

一見華やかにみえるオーケストラだが、経営事情は思った以上に厳しく、収入に占めるチケット売上は3割程度だという。人件費(客演指揮者、ソリストによっては破格のギャラが発生する)だけでなく、コンサートを企画すれば宣伝、チケット販売、会場経費もかさみ、完売御礼になったとしてもチケット収入では到底賄えない。そもそも大所帯のオケは楽器や練習施設設備の維持管理だけで莫大な経費が発生する。そのため、企業の協賛や国・自治体の助成金が大きな収入源だという。

 

ここまで読んで気になるのは、コロナ禍でイベント制限が続けば日本でも経営破綻に陥るオケが出るのではないかということである。読響やN響のように経営母体がしっかりしており知名度が高いオケでも今後は企業協賛金のカットが行われる可能性はあるし、まして地方のオケはそのリスクは高いだろう。

 

その解となりうる策のひとつは、本書でも取り上げられているファンドレイジング(寄付)と企画・広報部門の人材育成だろう。アメリカのオケには事務局にファンドレイジング専門の部署があり、寄付額に応じて同一傘下の企業・施設においてもリターン(サービス)が得られるといった工夫をしているという。寄付獲得競争の激しいアメリカならではの戦略といえるけど、読響やN響なら似たようなことはできるかもしれない。あとは会員制デジタル配信で会員数を増やすといったところだろうか。

 

それ以外の、特に地方の中小オケについては、地域と連携した教育活動の強化とターゲットの属性に適したイベント(例「若者向けコンサート」など)の企画に力を入れた方がいいんじゃないかと思う(もうやっているとは思うけど)。

たとえば、学校との連携によくある「一方通行的に演奏会開いて終わり」じゃなくて、双方向のコミュニケーションが取れる体験授業の企画。具体的には、若手の楽団員や事務局職員が講師をつとめ、生徒が楽器(もちろん練習用)にふれたり、練習風景やコンサートホール(裏側含む)の見学を組み込むといった工夫をした上で、コンサート本番に招待するのだ。生徒からすれば「オケの顔が見える」ことで親近感を持てるだけでなく、ひとつのコンサートができるまでに多様な職業の人たちが関わっていることを知ることで、広い意味でのキャリア教育につながる効果が期待できるだろう。

また、スマホに慣れて長時間ひとつのことに集中できない若者向けに、一時間程度の短いコンサート企画も必要になるだろう。もちろん指揮者か楽団員のMC入りで。

特に楽団員には広報誌上だけではなく、リアルでも広報役を務めてもらうことがポイントだ(人選が必要だけど)。公式アカウントの投稿内容も工夫する。とにかく、「若い子たちにあこがれさせる」「二度目の来場につなげる」ことなら何でもやる!

二度目、三度目の来場につなげることができれば、日本の聴衆が陥りがちな「海外の伝統あるオケに比べると日本のオケは大したことないだろう」という偏見を取り払うこともできるだろう。(国際コンクールの優勝者、上位入賞者にとって、オケの楽団員ポジションは国内で安定収入が見込める稀少な就職口である)

 

…以上の取り組みは、即効性がないという難点はあるけれど、チケット購入の裾野を広げないことにはどうしようもないし、地道にファンを作ることが結局オケの活路につながるのではないだろうか。

 

NHKホールの3階席では「今日は〇〇さんがフルートの2番に出てるね」「△△さん、最近ちょっと太ったんじゃね?ww」なんて会話をよく耳にする。あこがれの楽団員の定年退職の日にはお花を持って駆けつける。そんなファンこそが、コンサート再開を待って会場に足を運ぶのだから。楽団員の皆さんは、今日から腕だけじゃなくお肌も磨いて筋トレしましょう(笑)。

 

東京のタヌキ

www.youtube.com

『震えてるもん』溺れる子ダヌキ……2時間の救出劇(2000.9.4 テレ朝NEWS)

概要

東京・練馬区石神井川で溺れている子ダヌキを近隣住民が見つけ通報。タヌキは約2時間後に区の職員によって救出された。タヌキは少し衰弱していたが元気になり、区内の森に帰された。 

 

通常、都では野生動物を保護しないそうだけど、今回のケースは子ダヌキだし、自力での脱出が困難なため(動画ではハシゴ段にしがみついていたけど、タヌキはハシゴを登れない)、救出劇となったのでしょう。よかったよかった。

 

コロナ禍での人口過密ぶりが報道される東京は、意外と自然が残されているスポットが多い。東京23区内におけるタヌキの生息数は推定500~1000匹程度とのことで、大手町のビジネス街にタヌキが出没した(皇居の森から迷い出てきたのかも)など、時折ニュースに取り上げられている。

 

私が結婚するまで十数年間暮らしていた杉並区某所も、渋谷・新宿にほど近い一方でタヌキの生息数が多いエリアといわれており、幹線道路から数十メートル引っ込んだ住宅地で早朝や深夜に目撃されることがあった。(残念ながらタヌキではないけれど、神田川でヘビが泳いでいるのなら見たことがある)

杉並区のように地主さん所有の土地が多く市民運動がさかんな地区や、練馬区のように農地面積が広いエリアでは、住宅地に点在する公園や緑地でタヌキたちはたくましく生き延びてきたのだろう。

 

そういえば、国会議事堂の敷地内で記者がタヌキを目撃したという情報も。今ごろきっと、キツネと生き残りをかけて化かし合いをしてるんじゃないでしょうか(笑)。