「ベルリン国立美術館展 ~学べるヨーロッパ美術の400年~」

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 マウリッツハイス美術館展を観て数日後の7月下旬、またまた上野の森に出没。
国立西洋美術館で開催中の「ベルリン国立美術館展」を観に行ってきました。
 
 この展示、「耳飾り」と同時来日中の「真珠の首飾りの少女」をメインに宣伝していますが、サブタイトルに「学べるヨーロッパ美術の400年」と銘打っているだけあって、15~18世紀のイタリアと北方の絵画と彫刻を比較して鑑賞でき、さらにルネサンス期のイタリア素描の傑作も展示!
・・・という、たいへん贅沢な企画でした。
展示会の構成は下記のとおり。全体で約150点ほどの展示ですが、とってもボリューミー。(笑)
 
I部 絵画/彫刻
第1章 15世紀:宗教と日常生活
第2章 15-16世紀:魅惑の肖像画
第3章 16世紀:マニエリスムの身体
第4章 17世紀:絵画の黄金時代
第5章 18世紀:啓蒙の近代へ

II部 素描
第6章 魅惑のイタリア・ルネサンス絵画
 
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ティルマン・リーメンシュナイダー「竜を退治する聖ゲオルギウス」(1490年頃・菩提樹
 
 展示の前半は、北方絵画の周りを取り囲むように同時代の彫刻も展示され、それぞれ比較しながら鑑賞できるようになっています。
 上の「ゲオルギウス」の他にも、聖人が槍などで怪獣を退治している彫刻が数点展示されていましたが、15世紀の宗教をめぐるさまざまな対立構造(キリスト教VSイスラム教、ルターの宗教改革、新しい科学・学術VS宗教など)を象徴するものだそう。
 
 
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ベルナルディーノ・ピントゥリッキオ「聖母子と聖ヒエロニムス」(1490年頃)
 
 一方で、15世紀後半のイタリアでは、理想の美しさの中に魂の清らかさを体現されるといった考え方を背景に、理想の女性の美しさを聖母子の姿に追求するようになります。
そういえば、やまねこはカトリックの幼稚園で毎日賛美歌を歌っていたけど、カトリックは聖母信仰が強くて、マリア様のお歌が多かったですね。幼稚園児には、若く美しいマリア様と幼子イエズス様のお話は受け入れやすかったけど、ルーツは遠い15世紀後半のイタリアだったのか~。
バチカンの「ボルジアの間」にも壁画を残しているピントゥリッキオの描く聖母は、典雅さの中に甘やかな美しさがあって、懐かしい気持ちになります。
 
 
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アルブレヒトデューラー「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」(1526年頃)
 
 デューラーのこの作品と、後述のレンブラント派「黄金の兜の男」は、やまねこの愛読書「十二の肖像画による十二の物語」(辻邦生)に収録されているので、会期前から実物を目にするのを楽しみにしていました。
 上流階級の壮年の男性を描いた肖像画、肌やこめかみに浮かぶ血管、毛皮のみっしりとした質感までネチネチと粘着質なくらい細密に描かれていて、今にも語りだしそうです。デューラーの細部に対する執着が感じられる作品を、顔を近づけて観られるという、恵まれた展示環境。(涙)
 
 
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ルーカス・クラナーハ(父)「ルクレティア」(1533年頃)
 
 16世紀後半から17世紀のルネサンスからバロックへの移行期には、誇張の多い技巧的な「マニエリスム」と呼ばれる様式の作品が数多く生まれました。長く伸びた人体、手足の長いプロポーション、さまざまな方向への回転やねじれを含んだポーズがその特徴です。この「ルクレティア」の展示コーナーには、同時代のイタリアのの彫刻も展示されているので、北方絵画を代表するルーカス・クラナーハ(父)がイタリア・マニエリスムの影響を受けていたことがわかる・・・という、親切な展示構成。う~ん、勉強になるなあ。
 画題のルクレティアは、旧約聖書に登場する 心ならずも貞潔を守りきれなかったために自害する貞女だそうだけど、切れ長の冷たい目、極端ななで肩に長い胴、腰を申し訳程度に覆ったうす絹・・・。お題が皮肉に見えるほど、妙に挑発的でひんやりと官能的で、いかにも澁澤龍彦が好みそうな絵だな~と思いましたです。
 
 
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レンブラント・ファン・レイン「ミネルヴァ」(1631年頃)
 
 この展示会で、一番印象に残ったのがこの作品。
 同じ展示室にはフェルメールの「真珠の首飾りの少女」が並んでいたのですが、両者を同じ空間で並べ観て、フェルメールが光の表現を得意としたなら、闇とその奥で光るものをとらえた作品こそレンブラントの真骨頂では?と感じました。
 知恵と戦いの女神ミネルヴァ(アテナ)が真紅のガウンにまとった、刺繍をびっしりとほどこした繻子(?)のドレスの質感。背後の闇に沈んでその全容もさだかではない、怪物メドゥーサの首を埋め込んだ盾。叡智と戦争(愚行)という矛盾を体言化した女神の持つ残酷さ・不気味さが伝わってくる傑作です。
 
 
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レンブラント派「黄金の兜の男」(1650-1655年頃)
 
 つい最近の鑑定でダメ出しが出てしまったこの作品、それでも近年までレンブラントの代表作とされていただけあって、静かに迫ってくるような凄みがありました。闇の中に浮かび上がる黄金の兜が、角度を変えてどう観ても本当に輝いているようにしか見えません。
 この絵をもとに短編小説を書いた辻邦生は、真作と信じたまま亡くなってしまったけれど、実物の前に立ってみて、豪奢な兜をかぶった初老の男の残忍さと弱さを、数ページの小説に描きとった作家の眼の鋭さを改めて実感させられました。
 
 
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ヨハネス・フェルメール真珠の首飾りの少女」(1662-1665年頃)
 
 フェルメールにたどり着くまでに「どうじゃあ~」の連続で、も~お腹いっぱいになりそう(笑)ですが、お待ちかね・フェルメールです。
 マウリッツハイスで行列また行列のあげく、1.5メートルは離れての鑑賞だった「耳飾り」とは違って、こちらはかぶりつけそうな距離で、フェルメールのタッチをこの眼でじっくり観ることができます。その意味では、断じて「耳飾り」より「首飾り」がオススメです。(笑)
 身支度の手を止めて、真珠の輝きを鏡に映して放心する少女の背景は、おそらく漆喰塗りの壁なのでしょうか。壁面の微妙な凹凸が柔らかな光のもやを生み出し、その中で立ち尽くすつかの間の放心を、画家は「永遠」に変えました。フェルメール・ブルーの名で有名なラピスラズリが使われていないせいもあるけど、私にはフェルメールの作品は青よりもむしろ黄色の方が、光との親和性が感じられて印象深いです。
 
 
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ミケランジェロ・ブオナローティ「聖家族のための習作」
 
 400年分のイタリアと北方ヨーロッパ美術を概観した後は、最後のダメ押しのようにルネサンス期のイタリアの素描セクションが待っています。これが本当にすごかった。
 お能をある程度観るようになってから、このブログで「仕舞は、絵画にたとえるなら素描だ」とか「仕舞こそ、シテの力量や特徴がはっきりあらわれる」と書いたことがあるけど、このセクションを見て改めて自説を確信しました。(笑)
 ダンテの「神曲」を描いたボッティチェリの素描もよかったけれど、なんといってもこのミケランジェロの素描が一番力強く、精密で目を惹きました。シロウト目にもミケランジェロボッティチェリの特徴を見つけることができて、ちょこっとだけフィレンツェに行けた気分。
 
 そんなわけで、世間ではフェルメールフェルメールと騒いでいますが、マウリッツハイスしかり、ベルリン国立しかり、そのコレクションの質量ともにレベルの高さに圧倒された美術展でした。
ああ、宝くじが当たったらヨーロッパ美術館めぐりに行きたい(←そもそも買ってないけど)。
時間が許せば、混雑覚悟でもう一度行ってみたいと思います。