浅見真高米寿記念 代々木果迢会別会

 長生きしたら何がおめでたいといって、若い世代の人たちが新しい芸の花を咲かせている姿を目にすることができる、ということに尽きるのではないか。――というのが、まだ人生の半分も生きていないやまねこが、この会を拝見して強く感じたことでした。そして、大役を任され、それに応えようとする若い人たちの奮戦ぶりが清々しく、今年最後の観能がこの会でよかったと思える一日でした。
 
「翁」
 翁をつとめたのは真高さんのご長男の滋一さんで、今回が披きとのこと。40代の翁も若いけれど、この日の「翁」は平均年齢がとっても若いキャスティングで、主なところで千歳(16歳)、三番叟(23歳)、脇鼓(15歳?)、大鼓(39歳。。これはまあ普通かも)、脇鼓(36歳。こっちも普通でしょ)、この会の主旨が端的にあらわれた番組だったのではないでしょうか。
 千歳の小早川康充くんはまた背が伸びて、抹茶切文様の袴の裾がちょっと短く見えるくらい。いつも舞台度胸の据わった彼もさすがにキンチョー気味で謡に固さがみられたものの、足拍子をきれいに踏み鳴らして型を決め、なかなか凛々しい奮戦ぶりだったのでした。
 康充くんが奮闘している間にシテは翁の面をかけ、入れ替わりにすっと立ち上がります。シテはちょっと昭和の香りがする(?)風格ある雰囲気の方で、ほどよくとおる謡もやわらかい舞も品がありました。やまねこ的には、翁はシテの個性が前面に出過ぎると違和感を覚えるのですが、その点、この日のシテはバランスがとれていて「翁」に入っていきやすかったかも。
 ひとときの降臨ののち神様が去った後を引き継ぐ地上の三番叟は、故万之丞の長男・太一郎くんでしたが、烏帽子をかぶるために額を出した顔がお父様によく似ていて驚きました。まだ粗削りだけど、のびのびと大らかな雰囲気はやはり野村萬ファミリーの芸が引き継がれているのだなあと感じさせました。
 最近ではお正月のたびに、どころか都内だけでもかなりの頻度で上演される「翁」ですが、次の世代を担っていく子たちが精一杯頑張ってます!と務める清新な「翁」もいいですね。
 
 翁が終わるとすぐ不老長寿を祈願する舞囃子「東方朔」が始まる、という番組立て。やまねこは、瓜二つの親子の舞に興味津々注目。㤗輝君はさすがに弟くんたちのようにドッキドキという感じではなく、親子とはいえ鏡のようにぴたりと息の合った舞は、相当なお稽古を積んで学んだことをまっすぐに吸収してすくすく伸びているという印象で好感が持てました。(もしかしたら、お父様の方がドッキドキだったかも)
 
 そして、正高さんの独吟「橋弁慶」。
 仕舞や独吟は切戸口から舞台に入るパターンが通常らしいのですが、今年米寿の正高さんは代々木でも観世能楽堂でも長い橋掛かりを進んで舞台に入り、鬘桶に掛けて謡われます。割と長めの独吟で、もしかしたら、能一番つとめるのと同じ気持ちで舞台に向かっておられるのかもしれません。
 
 ここまででも三時間の長尺で、さらに二時間近い「安宅」となると、演じる方は勿論ですが、観る方も結構大変ですが、先月から「碇潜」「井筒」、と浅見真州を追っかけてきたやまねこ、休憩時間にキャラメル食べてがんばった甲斐あって(?)、もうおしりの痛さも忘れるくらい緊迫感と迫力ある「安宅」でした。
 
「安宅」
 歌舞伎の「勧進帳」でも有名な曲なのに、やまねこが「安宅」を観るのは初めて。
パンフレットによると、作者は佐々木信光説が有力だったが、最近では疑問視されているのだそう。
 今回は、義経を子方ではなく大人のツレが演じるのもポイント。二年前の国立定例公演で「確かに難しい役どころだが、一行が命を懸けて守る主が子供というのは、どうもしっくりこない」という浅見真州の考えで片山九郎右衛門が演じた義経を、この日務めるのは若手のホープ・坂口貴信(37歳)。色白できりりと凛々しい九州男児で、義経の雰囲気に合っている、かも。(←さっそくチェック)
 
 この曲、「勧進帳」のような人情話めいた明るさはほとんど感じられませんでした。
戒厳令下の安宅関の守りの厳しさ。北陸の灰色の空の下、義経がおかれた過酷な状況。そしてなんとしても安宅関を突破して奥州まで逃亡する以外に義経を守るすべのない弁慶のギリギリの心理状態を、浅見真州は原典の文脈まで読み込んで、弁慶という大人の男の内面を描いていたと思います。
 なにしろ義経一行が安宅関を通るまでに一時間近くかかる。でも、それは冗長な時間ではなくて、11人の男たちが、彼らが置かれた状況を確認し、どうやって関所を突破するか葛藤し、弁慶の覚悟に一同が心を合わせて関所に向かうまでの過程を描いているのだ。この長い前場あればこそ、一行は弁慶を信頼して勧進帳のハッタリに命運を賭けることができたのだと思います。
 ワキの殿田謙吉はいかにも手ごわそう(そして意外と細かいことに気がつきそう)という感じの富樫で、こちらも全体的に人情テイストはあまり感じさせなかったような。
本物の山伏なら勧進帳を読んでみろと言われた真州弁慶は、もう何が起きようと義経を守る責務を果たすこと以外考えていないから、強いのだ。勧進帳の独吟は、抑揚に富んだリズミカルで堂々とした謡だけど、それは一本の命綱の上を11人の命運を背負って渡る覚悟を決めた男のハコビでもあるのだ。この最大のヤマ場から息もつかさず、義経の正体がバレかけて弁慶が主君を金剛杖で打ち据え、怒れる10人の郎党たちが富樫にどっと押し寄せる。本気モードで押し競まんじゅうをしてた郎党もいたから、なかなかの迫力!一番小柄なはずの浅見真州がとても大きく見えた。
 
 やっとのことで安宅関を抜けてひと安心・・・のところに、酒瓶下げて追いかけてきた富樫の酒宴の申し出に、はっとしたように視線を合わせる弁慶と義経。やまねこの印象では、弁慶たちはもちろん、富樫も自分の任務遂行の方を強く意識していたのではないかという感じ。双方、緊迫感でビシビシしています。
 延年の舞は、垂直に高々と跳ぶ派手な型ではなく、一回転してびしっと着地する型(なんていうんでしょうね)で、失礼ながらあのお歳で信じられないような身体能力!
舞いながらも弁慶が決して富樫から目を離していないのがわかるのです。そして一行をうながして先を急がせ、富樫に返礼しながらしんがりをつとめるのでした。
 
 やまねこは子方バージョンの義経を観ていないのだけど、全体を通してこれだけ過酷な現実と緊迫感に満ちた舞台の焦点に立つ存在・義経は、やはり等身大の大人のツレが演じたほうが自然だと思いました。船弁慶ならともかく、こういうリアルな曲で義経が抽象的になりすぎるのは・・・ということなのかしらん。浅見真州のこうした解釈・演出力はなかなか興味深く、毎回「この曲はどう解釈するのだろう」と楽しみです。
 
 義経都落ち以降を描く能の弁慶は、「船弁慶」にしてもそうだけど、深謀遠慮と胆力に富んだ大人の男の理想像を描いていると思います。浅見真州はこういう役はハマリますね。今年の日経能「景清」より、この日の「安宅」の方が立体的な感じでよかったです。今年は「井筒」がサイコーだと思ってたけど、「安宅」も甲乙つけがたい。
 こういう良質な会の舞台に出会えると、お能を観ている幸せを感じられますね。
来年もできるだけ足を運びたいと思います。