橋を渡って紺屋町へ
芝生に咲いた青い星。
ドウダンツツジ…のはずだけど、大きめの花房がもりもり。
中津川のほとりの公園。去年の今ごろ、結婚式の写真撮影をしていた枝垂れ桜。通りすがりの新郎新婦だったけれど、あの二人も今ごろ休暇を楽しんでいるのかな。
上の橋の擬宝珠。
私が盛岡で一番好きな場所・中津川。盛岡は川と暮らしが密着したまちだと思う。夏は浅瀬でワンコが水浴びしているのを見たことがあるし、秋はこんなまちなかの川を鮭が遡上しているのに驚いた。水がきれいなんだろうな。いいな。
上の橋を渡ると紺屋町。この小さな商店街も好きなエリア。
多種多様な個人商店が集まっている町で、お店をのぞいて歩くだけで楽しいから、盛岡を訪れたら必ず散歩するコース。
蜂蜜屋さんの建物はよく見ると蜂の巣のようなブロック形で、正面には蜂のモチーフが。
蜂蜜屋さんの甘くて美味しい「栃みつ焼き」。公会堂周辺の街路樹は栃の並木で、実は薬に使われるらしい。
消防番屋。
盛岡のランドマーク的町家建築「ござ九」。
(日経新聞サイトより引用)
昭和2年頃の紺屋町。
佐藤(松本)俊介が、父の仕事の関係で花巻から盛岡・紺屋町に移り住んだ頃の写真。手前にござ九らしき町屋、奥に火の見櫓が写っていますね。
同じ場所、現在の様子。道幅なんかもあまり変わっていないような。今年に入ってから、竣介が聴力を失うまで紺屋町に住んでいたことを知ってびっくり。建物の間を通り抜けて、裏手の中津川で遊んでいたらしい。
「建物(青)」(1948年)
松本竣介の絶筆となった3点のうちの「建物(青)」。晩年は褐色の絵具を多用していた竣介が最後に戻った青い建物の絵。
聴力を失う前の竣介は技師になりかったという。建物の描いた作品が多いこと、作品の制作には製図版を画板代わりに使い、カルトンで下絵をトレースしていたという手法、子息の松本莞氏が建築家になったことから、竣介も建築家になりたかったのではないかと思っていた。
…似てると思いませんか?
紺屋町に移り住んだ竣介が、父親が創立に関わった銀行の建物に何か特別な気持ちを抱いていたとしてもおかしくないのではないだろうか。もしかしたら盛岡貯蓄銀行の竣工は、彼が建物に関心を抱くきっかけになったかもしれない。
兄の大学進学を機に竣介は上京し、その後一家は東京に戻っているために、竣介が盛岡を再訪したのは舟越保武との二人展を開催した十年後だというから、竣介にとって盛岡が故郷だという意識は薄いのではないかと思う。
でも、最後に意識の奥から「建物の原風景」が浮かんできたのだとしたら…と想像してみるのも悪くないかもしれない。