皮膚に遺された記憶-『石内都 肌理と写真』横浜美術館

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 横浜美術館で開催中の『石内都 肌理と写真』展に行ってきました。
 芸術新潮12月号の紹介ページに掲載されていた写真を見て、私好みの写真家だナと予想していたのだけど、期待以上というか、殴られるような衝撃を受ける内容でした。

展示構成は以下の通り。
第1章 横浜
第2章 絹
第3章 無垢
第4章 遺されたもの

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《Bayside Courts #67》 1988-89年

 1947年に栃木県桐生市に生まれ、6歳で父の出稼ぎ先である横須賀市に転居した石内都にとって、「横浜」は重要な被写体であり続けました。
 第1章では関東大震災後に立てられた高級アパート『互楽荘』や、戦後、本牧の接収地に建設された米軍居住施設『Bayside Courts 』など失われた横浜の風景の写真が展示されています。ぱっと見は廃墟好きが飛びつきそうな被写体なのだけど、粒子の粗いモノクローム画面から、ざらり、じっとりした質感が伝わってくる作風。特に『Bayside Courts 』シリーズは、湿気で塗装が剥落した壁の写真を延々と撮り続けていて、朽ちて皮膚がボロボロと剥がれていく建物の「身体」をすごく感じさせます。

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《1906 to the skin #17》 1991-93年

 横浜を拠点に世界的な活動をした舞踊家大野一雄のヌードをズームで撮影した『1906 to the skin』シリーズ。この展示コーナーで、目が釘付けになりました。
 80代後半の舞踊家の身体を限界までズームにしたもので、かつては美しく跳躍した肉体が年老いて全身皺とシミに覆われた様子。もうどのパーツだかわからないまでに接写した皮膚とか、踵と踝にかろうじて残された、かつての舞の名残。もう身体そのものが膨大な時間と記憶が刻みつけられた集積という感じで。このあたりから「凄い…」と惹き込まれました。


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《絹の夢 》(やまねこ撮影)

 広島で被爆した女性たちが身に着けていた絹の衣服に触発された石内が故郷・桐生市の絹織物・銘仙を撮影したシリーズ。
 解説によると、銘仙は、ヨーロッパの前衛美術から影響を受けた斬新なデザインと鮮やかな色彩が特徴で、日本の近代化を支えた生糸産業を背景に、大正・昭和の女性たちが普段着として愛用した着物です。
 そういえば漱石『それから』では、下級官吏の宗助が妻のためにどうにか買ってやれるのが銘仙の反物という場面が、大学中退した元エリートの没落を物語るエピソードのひとつとして描かれていたし、谷崎潤一郎痴人の愛』のナオミは銘仙しか持っていないカフェエの女給だと書かれていた記憶があります。明治の知識人たる漱石にとって大量生産の安価な銘仙を妻に着せるということは、明らかに階層の移行としてとらえられている一方で、安価で鮮やかな銘仙をまとった大正期のファム・ファタールは、大量生産にみられる日本の近代化への移り変わりを表しているのだろうな、と思いました。

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《不知火の指 #1》 2014年

 第3章 無垢
 「人は無垢であり続けたいと願望しながら、有形、無形の傷を負って生きざるをえない。」
 病気や事故で体に傷を負った女性をテーマにしたシリーズ。リストカットの手首や乳がんの手術跡の残る乳房、火傷のケロイドが下半身を追った女性…。もう何年も前になるけれど、乳がんで乳房の切除手術をした同世代の知人がいて、彼女が本当に苦しんだのはむしろ手術後だったことを、いたましい気持ちとともに思い出しました。
 『不知火の指』は、『苦界浄土 わが水俣病』で知られる作家・石牟礼道子さんの指を撮影したもの。

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《Mother's #35》 2002年

 今回の展示ですばらしかったのは、既存の作品を再構成したことで、「肌理=皮膚(にまつわるもの)」というテーマをはっきりと打ち出されていたこと。
 第4章「遺されたもの」は、石内の母親、メキシコの女性画家フリーダ・カーロ、そして広島で被爆死した女性たちの遺品を被写体としたコーナーなのですが、亡くなった女性の肌に直接触れていたものは、「絹」や「無垢」のテーマに通じます。


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《Frida by Ishiuchi 》シリーズより 2012年

 メキシコの女性画家フリーダ・カーロの履いていた靴。
6歳で急性白髄炎のために左右の足の大きさ・長さが違い、18歳の夏にバス事故で鋼鉄製の手すりが下腹部を貫通し瀕死の重傷を負ったフリーダの生涯は、まさに苦痛とともに生きたといっていいものでした。フリーダの遺した華やかなドレスや華やかに彩色されたコルセット、左右の大きさの違う靴。鮮やかな色彩の洪水のような写真を見ていて、華やかな装いはおしゃれのためだけではなく彼女が生きるためのお守り、防御の品だったのではと思えました。


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ひろしま Donor: Hashimoto, H.》より

 特に衝撃的だったのは、広島で被爆死した女性たちが身に着けていた衣類を撮影した『ひろしま』シリーズ。
 広島の原爆記念館の資料庫に保管されている遺品を、たたみじわをのばして着ていた形に広げて自然光の下で撮影したというものだけど、1945年8月6日の朝に広島の若い女性がこんな華やかなおしゃれをしていたなんて想像もつきませんでした。終戦直前なんてみんな防空頭巾にモンペだと思っていたので。
 上のワンピースなんて、リバティプリントのような青い小花模様のふんわりしたシャツワンピース。他にもジョーゼットのワンピースや水玉模様のシルクのブラウス、一つボタンの軽やかなサマーニットは現代でも通用しそうなほどモダンで華やかで、服飾関係の展示かと思ってしまいそうなほど。
 でも、華やかなワンピースの全身に散った血の跡が、まぎれもなくあの日の朝着用していたことを物語っています。見ているうちに、このワンピースをまとっていた若い女性のしなやかな身体、歩くたびにひらりと揺れる裾の軽やかさに女性であることの楽しさを感じていたであろう彼女を襲った、とりかえしのつかない破壊行為を、ワンピースを通じて自分の身体感覚で想像させられました。

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ひろしま Donor: Hashimoto, H.》より

 終戦直前の地方都市の女性たちがこんなに華やかな色彩をまとっていたという事実に衝撃を受けたのは、ひとつにはやはり私が「戦時中の女性」に対してステレオタイプなイメージを持っていたからなんでしょうね。当時の女性は衣類を自分で仕立てるスキルを持っていたから、それこそ銘仙の着物をほどいて洋服に仕立て直したり、母親の服のボタンを大事にとっておいて付け替えるとかできたのでしょう。服=買うものだという自分の時代の「常識」でとらえていたんだなあ、と。服って、ただの「もの」じゃなくて、身に着けていたひとそのものでもあるのだと思いました。
 そして原爆は、そうした戦時下でも心豊かに生きるすべを忘れなかった女性たちの身体や夢を一瞬にして破壊してしまったのだという事実を、私自身の女性の身体で感じ取ったこと。


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絶唱横須賀ストーリー』(やまねこ撮影)

 こんなに重い、自分自身に向き合わされるような企画展なのに、同時開催しているコレクション展『全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真』も、これだけで企画展1本できそうなボリューム。そんなコレクション展の最後にまた石内の『絶唱横須賀ストーリー』が配置されていて、もうお腹いっぱいです。横浜美術館、大盤振る舞い過ぎだよ。


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『絹』シリーズ (やまねこ撮影)

 そんなわけで、せっかく横浜まで来たのに横美だけで寄り道せずに家路につきました。図録買おうと思ったら、筑摩書房から石内都のエッセイ『写真関係』が出ていて、すご~く迷った挙句にエッセイ買いました。もしかしたら、『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家展』のときみたいに、後日図録を買っちゃうかもしれませんが。
 横美はときどきヘンな企画展も出しますが(松井冬子展とかww)、ヨコハマトリエンナーレの会場だけあって(?)現代アートは概して良質な展示をしていると思います。