モネ大回顧展

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雨の中、乃木坂の国立新美術館へ。
平日だし、会期終了も近いし、おまけに雨だし(=すいてるだろう、ヘヘヘ)という目論見は入り口にずらーーっと並んだ満員御礼状態の傘立てを見た時点でもろくも崩壊。

モネという画家については、恥ずかしながら「睡蓮」シリーズくらいしか知らなかったし、ドビュッシーのピアノ作品のCDジャケットに使われているのをたまーーに見ても「ああモネか」くらいの感覚しかなかった私。
今回の展示ほど、つくづく印刷技術というものの限界を実感したことはなかった。

「日傘の女性」
人垣の隙間からこの作品を見たとき、キャンバスの内側から南仏の午後の日差しがあふれているように見えた。風のそよぎ、草の甘苦い匂いといった触覚や嗅覚までも刺激するような作品。
同じようなショックは「モントルグイユ街、1878年パリ万博」でも感じた。三色旗のはためき、群集のざわめきが画面からわーっと広がってきそうな、自分自身が建物の窓から万博のお祭り騒ぎを共有しているような錯覚を覚える絵。近づいてみれば、点描のタッチに過ぎないのに。ブラウン管式テレビが発明される前にこんな技術を思いつくなんて!
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一番有名なはずの「モネの庭」シリーズは、正直言って色彩の洪水で眼がチカチカしてしまい、近くで見ると疲れるため、人垣越しに7メートル以上離れて鑑賞。
「睡蓮の池」(1900年)あたりから緑のトーンにほとんど赤に近いテラコッタカラーを多用しているせいか、近くで鑑賞しづらいのだ。それまでのモネのトーンが変調をきたしたかのような違和感。後で目録を読んだら、晩年のモネは緑内障でほとんど盲目に近かったとあるので、「睡蓮の池」制作の頃にはその兆しが現れていたのかもしれない。
全体を通して、密度の高い企画だと思うけれど、終盤で思わぬ伏兵が。
展示会場出口近くにある、黄色い睡蓮の絵はガラスケースに照明が反射して下半分しか見えず、ちょっとそれはないだろう(学芸員のみなさん、気がつかないんでしょうか)。

それにしても、モネほど日本人の季節感のツボにはまる画家ってチョットいないかも。
湿度や日差しの微妙な変化、過ぎ行く時間の一瞬を切り取る鋭敏な感覚は、四季の変化に敏感な日本人と相通じるものを感じさせる。俳句的な世界観なんですよ。加えて、日本にもありそうな風景もちらほら。「エジプト川のポプラ並木」なんて、越後平野のはざ木(稲の束を干しておくための並木)かと思った……。
モネが日本人に愛好されるわけがよーくわかった午後でした。