当事者不在の茶番法廷/光母子殺害差戻し審

一昨日に引き続き、光母子殺害事件の差戻し審。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070627-00000920-san-soci
(「被告『生き返ってほしい』と乱暴 第3回公判詳報 光母子殺害」/産経新聞

いろいろな意味で異常な事件だ。
被告の証言をまともに受け止めている人は、おそらく誰ひとりとしていないだろう。
各メディアの報道でも「今までの審理を覆し、今さらどんな証言をしようってんだ」
というニュアンスが強い。

あの宮崎勤が「ネズミ人間が現れて何も考えられなくなった」と証言したときは、
まだ「彼はひょっとして『本当に』異常かもしれない」と考えられる余地があった。

これだけ「信用されていない」被告も弁護団もいないんじゃないだろうか。

弁護側からすれば、世論の反応も含めてこんな展開になるのは当然である。
なぜなら、「被告のような、誰がどう見ても赦されない罪を犯した人間でさえ、
『法的に』死刑から守り通せば、他の犯罪者についても当然死刑は適用されづらくなる」
という計算に基づいて、弁護しているからだ。

そこには、「事実」も当事者(被害者も被告も)存在しない。
ただ、実績作りのためだけの弁護活動がある。

こんな弁護が万一にもまかり通ったら、
死刑制度以前に、司法への信頼が崩れてしまうだろう。
一体「何のための」司法制度なのか、考えさせらてしまう。