「集中できる」快感

中学高校はブラスバンド部、
大学では一年間だけ合唱部(混声)に入っていたことがありますが、
「舞台」は自分が立つより鑑賞するほうがずっと好きです。
東京ドームで観戦中に寝こけてた私も、
さすがに演奏しながらじゃ眠れないから(笑)

・・・というのは半分冗談だけど、
N響お能も美術展も、ときどきではありますが、
それこそ何年も心に焼きつくようなパフォーマンス(作品)に出会うことがあるから。
今年は1月の細川順三さん(フルート)のレコーディング記念リサイタル、
先月の宝生夜能会での辰巳満次郎さんの「芦刈」が、
私にとっては、そんな「僥倖」でした。

こないだ辰巳さんの演技に接してみて、
私にとって「いい舞台」というのは、
自然に演者(演奏家)とシンクロして集中できる、
集中することに快感を覚えられる舞台なんじゃないか?と感じました。

専門家の意見とズレても、まぁ自分がシアワセならそれでいいのだ?!(byバカボンパパ)

あの晩の「芦刈」は、自分でも気づかないくらい集中していたので、
演者が全員橋掛かりの向こうに消えてもしばらくは、
ふだんの自分モードに切り替えられなくて、ちょっと驚きました。
何かにこんなに集中したのは、何年ぶりだろうって。
舞台の上からも、すごい集中力を感じたから
たぶん「無我の境地」とは正反対の状態で演じられたのだろうと思います。

N響の定期公演でも、
「なんか今日はイマイチのれないなー」という日なんかに、
楽員さんのHPを見ると「今日はなんだかねー」という書き込みがあるので、
舞台の上と客席(見所)は、ある程度相互作用で
「舞台の空気」をつくり出すということはあるのかも。

考えてみれば、演者(演奏家)は何百人、何千人もの聴衆を相手に
プロとしてのパフォーマンスができなくてはいけないのだから、
舞台の「気」が強いのは当たり前ですね・・・。
今さらながら、そんな場を生業としてる人たちはスゴイと思います。