綾の鼓-「近代能楽集」(三島由紀夫)-

毎日毎日、ただでさえ忙しいのに、
中途採用とくれば、新卒とは違う厳しさもあるわけで、
このところ、心がカサつき気味なのでございます。

こういうときこそ、豪華絢爛な三島ワールド。
「近代能楽集」は、ずいぶん前に読んだきりですが、
いま読み返すと、「ことば」のキレがよくて本当に面白い!
ことばの力に支えられた、シンプルな舞台が目に浮かぶよう。
あー、これはやっぱりお能の舞台空間を想定してるな、と思います。
まだ全部読んでいないけれど、久々にどっぷり浸れる本に再会できました。
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「綾の鼓」
能楽「綾鼓」は、まだ観たことがないですがタイトルからして絶妙だなぁと思います。
美しいけれど決して鳴らない鼓=成らない恋。
美しい女御その人の隠喩でもあるし、恋の甘美さと残酷さでもある。
観世流の「恋重荷」というタイトルも悪くないけれど、
私は「綾の鼓」の方が好きです。

「綾鼓」の解説を読んだときは、正直いって「見苦しい話だなぁ」と思いましたが、
三島にかかると「ひたすら甘美な物語!」になるんですね。

女御=華子は、「本当の私を愛してくれる、本当の恋」を得ようとして、
老小使の亡霊に綾の鼓を鳴らしてほしい、と迫る。
男は、自分の恋の証を立てようと鼓を打つ。
男の耳には高らかに鳴り響く鼓の音も、女には決して届かない。
なぜなら、男が愛しているのは、真の女の姿ではないから。

-むだだ、むだごとだ。鼓はやっぱり鳴らないのか。打っても、打っても、綾の鼓は。
-はやくきこえるように!諦めないで!はやくあたくしの耳に届くように!

生前に女に送った恋文の数、打っても鳴らない鼓に絶望して男は消える。
(このへん、百夜通いの話が元になってますね)
二人の執着と絶望が高まっていく、この場面の台詞は何度読み返しても美しい!
そして、最後の女のセリフが、ニクイ!

「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」

原曲は「綾の太鼓」だから、本来は太鼓なんだろうけど、
私は、この鼓は小鼓のことじゃないかと思うのです。
鼓を窓から投げてよこす描写があるし、
なにより、恋に狂って必死に打つんだから、撥で打つ太鼓より、
女の形代として、抱くようにして打つ小鼓の方が、
ビジュアル的にも説得力あるんじゃないかなぁ?
そっちのほうが、三島っぽい気がする。

それにしても、
「綾の鼓」「班女」にしろ、「春の雪」にしろ、
読んでて感じるのは、
「華麗な恋(=相手不在の妄想)に殉じる主演俳優の私」と、
「それをシニカルに見つめる演出家としての私」を
三島は同時に描こうとしていたんじゃないかということです
自分ひとりで、主演俳優、演出家、観客を演じていた、ともいうのかな。
こういう確信犯にとっては、「成らない恋」は究極の快楽でしょうね。
巻き込まれるほうは、たまったもんじゃないでしょうけど(^^;)