「除夜の鐘」 -N響「第9」公演-

今年はお能を観にちょこちょこ出かけてましたが、
やはり一年の〆はこれでしょう。

NHK交響楽団「第9」演奏会
指揮:アンドリュー・リットン
ソプラノ:角田祐子   メゾ・ソプラノ:石津なをみ
テノール:カン・ヨゼプ バリトンキム・テヒョン

今年は男性歌手2名が韓国人。韓国人の出演自体、初めてじゃないかな。
経営母体がNHKだから、もしや「チャングムの誓い」効果か?!
去年の日本人指揮者の、せかせかとした「第9」に比べれば聴きやすかった
とはいえ、指揮者とバリトン歌手は「???」。
バリトン歌手の出だし、「コレハ何カノ間違イデハナイカ?」と、
思わず自分を疑ったほど、何歌ってるんだかわからない音程でした!ショック!
指揮者もイマイチわかりづらいタクトだった。

ところで、
ここ10年ほど、N響の「第9」はほぼ毎年聴きに行っているのですが、
第2楽章と第3楽章の間に、必ず歌手を登場させているのです。
今年は、第4楽章にしか出番のない楽員まで途中入場。

なぜ第2楽章の後に、歌手を登場させて演奏を中断するのか?

日本でこそ「年中行事」の「第9」ですが、
本来は「4楽章構成の合唱つき交響曲」なのです。
当たり前のことですが、コーラスの登場する第4楽章は曲全体の一部でしかありません。
ベートーヴェンだけでなく、マーラーだって合唱つきの交響曲は作っている。
だけど、楽章と楽章の間に、歌手や楽員を登場させて演奏を中断する演出は
あまり見たことはありません。
今日も今日とて、第2楽章と第3楽章の間での歌手&楽員登場で拍手が鳴った時、
すっごい違和感を感じました。

もしかして、<第4楽章だけ>を「第9」だと思ってない??

ソリストもコーラスも、第4楽章にしか出番はありませんし、
パーカッションやピッコロも第4楽章の中盤まで、ずっと待機してなきゃいけない。
だけど、待機時間(あくまで演奏側にとっての)も、演奏に含まれているはず。
演奏者側の利便性という問題もあるのかもしれませんが、
はたして演奏を中断してまで優先すべきことなのでしょうか?
第1楽章のピアニッシモから第2楽章のアレグロで、徐々に歓喜に近づいていく
「第9」はとても素晴らしい曲だと思うし、それだけに上記の演出は曲本来の姿を
理解していない表れではないかと思うのです。

私の憶測では、おそらく「第9」チケットがお歳暮代わりにばらまかれたバブル時代、
繁忙期の歌手のために取られた措置じゃないかという気がします。
なんか、あの演出には商売っ気が感じられるんですよね。
仏作って魂入れずだーー!!(笑)

終演後、知人と落ち合ってそんな話をしてました。
そういえば、N響の「第9」は例年に比べて後方の空席も目についたし、
公演日数自体も減っています。
少子高齢化の影響か、団塊世代の楽員の定年退職に伴うファンの移動かわかりませんが。
(楽員さんが替わると、そのパートは音がまるで変わってしまいます)

N響といえども、公演数(=集客数)減になれば
いまの、「年間行事」としての形態を続けるのは難しいでしょう。
その時こそ、本当に聴ける「第9」を演奏できるのかが問われると思います。

ま、あれは「除夜の鐘」だといっちゃえば、そこまでなんだけどさ。