「青眉抄」(上村松園著・講談社文庫 ※絶版)

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上村松園「焔」(大正4年

記憶にある限り、最初に「美術展で観た絵」です。
母の話だと美術館に連れて行けるギリギリの年齢だったらしい。
妖しい眼の光と着物の柄が怖かったけど、
それ以上に子ども心にも「見てはいけない何か」
を感じたのを憶えています。
(それにしても、よりによって「この絵」かいなー^^;
という気もするんだけど)

最近、松園が能からインスピレーションを得て
後期の傑作を創作したということを知り、
図書館から「青眉抄」を借りてきました。
これが結構面白くて、通勤電車の中で一気に読了!
ここに出てくる、金剛巌がカッコイイ!!

松園が金剛巌(24世宗家)に師事したのは39歳の頃。
「焔」制作と重なるこの時期、松園は深刻なスランプに陥っていて、
「どうしてこのような凄艶な絵をかいたか自分でもあとで不思議に思ったくらいですが、抜けられない苦しみを
ああ言う画材(「焔」)にもとめて、
それに一念をぶつけたのでありましょう」
と書いています。

この「焔」というタイトルを考えたのが、金剛巌だったそうです。
最初、松園は「生き霊」にするつもりでしたが、さすがにちょっと露骨・・・
というので師匠に相談したところ、いっそ「焔」にしてはと言われたとか。
嫉妬に狂った女性(六条御息所)の顔を表現する難しさを相談したら
「泥眼」を教えられ、眼に金泥をほどこすアイディアにつながった、とも。

エピソードからは、50代くらいの人生の機微に通じた師匠を想像してたのですが、
調べてみたら、当時の金剛巌はなんと28歳!
でも、断絶しかけていた宗家を 四流から推されて継いだとか、
父親が面と装束のコレクターだったこともあり(数百点くらいあるらしい)
この方面に造詣が深く、「能と面」を執筆したという話からは
才能と意欲にあふれる若い能楽師の姿が浮かんできそう。
きっと、キラキラしたオーラを発してたんでしょうね~。^^
「焔」以降も 松園は謡曲を題材にした代表作を次々に制作しています。

「花がたみ」で照日前の狂気を表現するために、精神病院に滞在して
患者の姿態をスケッチしたというくらい、一途で貪欲な松園にとっては
若き金剛巌は ふるいつきたくなるようなインスピレーションの泉だったはず。
金剛巌にとっても、創作にかかわる喜びがあったと思う。
そういう意味では、「焔」は今でいうコラボの走りなのかな。

「草紙洗小町」(下絵・昭和12年

金剛巌をモデルにしたという作品。シテは50歳。
「なにものにも犯されない、女性のうちにひそむ強い意志を表現したい」松園にとって、
この曲はどうやら思うところがあったようで
「負けじ魂の小町」と書いていますが・・・たしかに負けん気強そう(笑)
お正月に金沢でこの曲を観てるけど、
うーん・・・「草紙洗(小町)」ってそういう曲じゃないような気がするんだけどなあ。
シリアス系というより、どっちかというと遊びの感じられる曲という印象。
この曲の小町には、清少納言をもっと女性らしく優雅にしたような機知を感じるのですが。

それにしても、金剛巌の舞台 映像が残ってたら観てみたいな~。
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