はしるはしる

「安土往還記」、本日 地下鉄の中で読了しました。
辻邦生の長編デビューは、いきなり最晩年の「西行花伝」から始めて
次は初期の「安土」という極端なパターンになりましたが、
抑制の効いた文章の間から立ちあらわれる、若々しい烈しさに「感動した!」(←古い)

昨夜は、もうすぐ「安土」読み終わっちゃう!という危機感(?)から
仕事帰りに某大型書店で、中公文庫の「嵯峨野名月記」「背教者ユリアヌス」(全3巻)
をまとめて買ってきました。さあこれで当分安心!
でも、「『安土往還記』→『嵯峨野名月記』→『天草の雅歌』と進める方が、
初期の作風がわかりやすい」
というファンブログを読んだので、今日業者さんが帰った後、地元の図書館に行って
「天草の雅歌」を借りてきました。「ユリアヌス」は、当分おあずけ。
タツの横にどんどん積み上げて、にんまりしております。

学生時代から、神保町で単行本をまとめ買いして喫茶店でパラパラ目を走らせるのが
最高のシアワセ!でしたが、でもこの感覚、どこかで読んだことがあるような・・・。



(源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ・せり河・しらら・あさうづ
などいふ物語ども、一袋とり入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや)
はしるはしる、わづかに見つつ心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、
人もまじらず几帳の内にうち臥して、引き出でつつ見るここち、后の位も何にかは
せむ。昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、灯を近くともして、これを見るより
ほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮ぶを、いみじきことに思
ふに・・・・・・

どきどきしながら、今まで部分的に少し見ながら筋もわからずもどかしく思っていた『源氏物語』を、最初から通して、誰にも邪魔されないで几帳の内に臥して、一冊ずつ櫃(ひつ)から引き出して読む心地の素晴らしさは、后の位だって比べ物にならない。昼は日のある間ずっと、夜は目がさめている限り、灯を近くにともして、これを読む以外何もしないで過ごしているので、あえて思い出そうとしなくても内容が頭に浮かんでくるのを、素晴らしいことだと思っていると・・・



高校時代、古典の教科書に出てきた「更級日記」の有名な場面。
受領の娘として田舎で生まれ育った読書好きの菅原孝標女が、念願かなって上京し
憧れの「源氏物語」全巻を手に入れたときの描写です。
「はしるはしる」って表現が、とても印象に残ったのを憶えています。
あー、本好きの気持ちって千年の昔から変わらないんだなあと菅原孝標女に共感したっけ。
都に上りたいという夢が、都なら物語が手に入りやすいし、宮仕えなんかして
物語のヒロインみたいな人生を送れるかも・・・という動機からだったのも、
あはは、これまた大して変わらないですねえ。
現実の生活が 物語のようにロマンチックではないことに気がつくところなんかも。
同じ時代に生まれていたら、彼女とはお友達になれたかもしれないですねえ。