梅若研能会 6月公演

☆梅若研能会 6月公演(6月19日・観世能楽堂
仕舞「弓八幡」加藤眞吾
  「夕顔」 青木一郎

能「歌占」
 シテ:八田達弥
 子方:八田和弥
 ツレ:中村敬祐
 笛 :小野寺竜一 
 小鼓:鵜澤洋太郎
 大鼓:高野彰

狂言「二九十八」
 シテ:三宅右矩
 アド:三宅右近

能「項羽
 シテ:長谷川晴彦
 ツレ:梅若泰志
 ワキ:高井松男
 笛 :寺井義明
 小鼓:観世新九郎
 大鼓:柿原光博
 太鼓:大川典良


いったん書き上げた記事を消してしまうのって、かなりショック。
能だと番組書いている分、「ぎゃああぁ~~消しちゃったぁぁぁ~」とムンクの叫び。
なので、番組表はかなり簡潔に書いてます。もう一週間近く前の公演だし・・・。

この日は脇正面目付柱寄りの席だったので、全般的に舞台の動線が捉えやすかったです。
宝生春の別会「二人袴」で、橋掛かりを効果的に使っていたのが印象に残ってますが、
橋掛かりを使うことで、時間と空間の処理がうまくできてるなーと感心させられました。
脇正面は、前正面の同じ列より舞台がぐぐっと近く感じられる。
通は脇正面に座ると聞いたことがありますが、わかるような気がするなあ。

「歌占」
伊勢国神職・渡会が、神罰に触れて臨死体験をしたことで白髪となり、諸国を放浪する。
後を追ってきた子供に再会した渡会は、「地獄の曲舞」を舞って神懸りになるが、
やがて子供とともに国に帰っていく。

シテは直面・白髪の狩衣姿で登場。
ヴィブラートをきかせた朗々たる謡は、一瞬オペラを連想させました。
(ちなみに、「項羽」のシテも地謡sもオペラっぽい。このお家のカラーかしらん?)
突然頓死・蘇生して放浪とは、なにか「普通でない感じ」を受ける人物だけど、
曲の中では(というか私のヒアリング力では)、詳しいことはわかりません。
実はこの舞台、その気になればかなり詳しく予習できたはずだけど、
先入観を持ちたくなかったので、「お勉強」はあえて復習に回すことにしました。
ただ、親が親にも大人にもなりきれず家庭が崩壊する事件が珍しくない昨今では
それほど違和感なく受け入れられる、普遍的な話かも・・・と思いました。
一番印象的なのは、「地獄の曲舞」の足の運び。
男舞は好きですが、こんなに動きの大きな流れるような舞を見たのは初めてです。
能というか、もうほとんどフィギュアスケートを見ているような感じでした。
表に出している力より、内にこめた力の方がずっーと強そう。
そうでなきゃ、能もフィギュアもあんなにぴたっ!とキレイに決まらないよね。

「二九十八」
観音様のご利益でめぐり逢えた(はずの)理想の女房は、実は・・・!
右近さんは衣をひきかぶってるのに、右矩さんと息がぴったり合ってて
衣に目がついてるんじゃないかと思うほどでした。
右矩さんを追っかける場面も、あの独特のこもった声がユーモラスで笑えた!
あの時代、結婚して初めて女性の顔を見て・・・という悲喜劇は多かったんでしょうね。
妻がその後どうなったのか、ちょっと気になるところです。

項羽
覇王別姫」の能バージョンといった曲。
昔、ル・シネマに「覇王別姫リバイバル上映観に行ったなあ~。見ればなつかしや(笑)
今は亡きレスリー・チャンがそりゃあもう妖しく美しかったです。
四面楚歌で意気阻喪した王の足手まといになるまいと、舞いながら剣で頸を斬っちゃうの。
項羽」では、虞姫は高楼から飛び降りて死ぬ・・・のだけど、
これがどうしてもレスリー・チャンに重なってしまう。
(実際には一畳台から膝を崩すように座り込む、という膝を痛めそうな演出である)
シテ・項羽は一の松の辺りで、それを見ているんだけど、
虞姫を見つけた驚愕から、一転、愛する者を喪った虚脱感がすごく伝わってきました。
ほんの少し、面の角度を変えただけ、なんでしょうけど。凄い。
項羽の面は、勇猛果敢な王の顔ではなくて、一人の若い男の顔に見えました。
大きな打撃を受けた後、人はこんな表情をするんじゃないかと思えるような。
面ひとつ、シテの表現ひとつで、舞台のイメージってガラッと変わるんですねえ。


チラシ集めて驚いたんですが、観世は夏場の土日も定例能があるんですね。
宝生も来年から五雲会が7月にもかかるそうだし!どきどきわくわく♪
でも、今月はちょっと病が過ぎまして(二週間で5回も舞台通いしてた!)
私のこぶたの貯金箱は、東京都の水がめのような状態に。
雨水がたまるまで、今しばらくガマン・・・。