「去年マリエンバートで」

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このホテルの庭は一種のフランス風庭園で
木もなければ花もなく、植物は何もなかった
砂利と石と大理石とそして直線とが
厳しい空間を、何の謎もない平面を描き出していた

最初はそこで道に迷うことなどありえないと思えた
最初は…

そこへ今、あなたは来ていて
永遠に道を見失いつつあった

静かな夜の中で
私と二人きりで…

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舞台はフランス式の幾何学的な庭園を持つ、バロック風の豪華なホテル。
どこかの城館を改装してつくられた保養地のホテルらしい。
豪華な調度に飾られたホテルの内部は、しかし薄暗くひと気がほとんどない。
上流階級の宿泊客の中でも美貌の際立つ女は、夫とともに今年もこのホテルにやってきた。
毎年変わりばえのしない風景と会話に倦んでいる女。
そこに見知らぬ男がやってきて、女にそっとささやく。

「去年の夏、あなたと私はマリエンバートで出会い、愛し合った。
私たちは一緒に旅立とうとしたけれど、あなたはもう1年待ってほしいと言い、
1年後にここで再会しようと約束したのだ。私は約束どおりここに戻ってきた。
一緒に来てくれないか」
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女にはそんな約束をした記憶も、
そもそも男と出会った記憶すらない。
否定する女に対して
男は執拗に「去年の出来事」を語る。
幾何学的な庭園で、薄暗い回廊で、
夜のバーで・・・。
やがて、女は男の語る過去が
事実であったような気がしてくる。
二人の様子を見ている夫は「去年」何が起きたか知っている様子だが・・・。


なんだか、芥川龍之介の「藪の中」や川端康成の「弓浦市」みたいな話
・・・と思っていたら、アラン・レネ黒澤明の「羅生門」をヒントに
下記の構成でこの映画を作ったのだとか。

1.現在
2.男の回想(男にとっての主観的事実)
3.女の回想(女にとっての主観的事実)
4.過去(客観的事実→夫の視点)

うーん、確かに「藪の中」そのものといってもおかしくない。
でも、4の過去というのもあくまで「夫から見た事実」であって、
「確固たる事実」というワケじゃないのですね。

私たちの記憶は意外に曖昧で、親しい人と思い出話を語り合っていて
記憶の食い違いに「え?」となった経験は、誰しもあるんじゃないかと思います。
この映画のなかでも、去年の記憶を語る場面が繰り返し出てくるのだけど、
男と女以外の登場人物が、能のワキ方のように凝固しているのが印象的。
記憶がいかに自分中心にフォーカスしているか、実にうまく表現してるなと思いました。

ただ、私が「いま」こうして存在しているのが「過去」によるもので、
その「過去」を支えるのが「記憶」だとすると、
その曖昧な「記憶」の集積によって存在している自分は、
実はとても不確かな存在なんじゃないか?
真実の不確かさは、そのまま自己存在の不確かさ、にもつながるのではないか。

自分の記憶と男の語る過去の食い違いに、女が次第に恐怖を覚えていくのは
男が具体的に何かするんじゃないかという恐れもあるのだろうけど、
こうした「自己存在の不確かさ」に気がついてしまったからではないのかしら。
それは自分が立っている足元の地面が、決して安心して踏みしめられないもの
だと気がつく恐怖にも似ています。

男は「去年マリエンバートで」起こったことを繰り返し語り、そのうち
「あなたのいる場所はまがいものだらけだ。一緒にここを出ていこう」
と言い出します。こうたたみかけられたら、うーん、動揺しちゃうだろうなあ。
そして物語の最後、女は男との「約束」どおり午前零時にホテルを出ていくのです。

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60年制作というから、もう半世紀近くも昔の映画ですが全然古臭さを感じさせないですね。
できれば夜中、部屋の照明を消しての鑑賞をオススメいたします。
冒頭の長い廊下と、庭園の場面が不思議な酩酊感を誘います。
デルフィーヌ・セイリグの美貌とファッションも素敵です!
彫りの深い鋭角的な美貌に甘く気だるい声は、まさに大人の女。
身のこなしや歩き方も実にエレガントで、日ごろガサツな自分を
女性として反省・・・。
ドレスのデザインをシャネルが担当したことでも、当時話題になったそうです。
影響受けやすい性格の私は、これを観てつい黒のワードローブをチェックしてしまいました(^_^;)