「怪談」/ラフカディオ・ハーン(角川ソフィア文庫)

イメージ 1
お盆といえば、
いまやただの帰省か行楽シーズンに成り下がってるけど
本来は先祖迎えの季節(のはず)。

我が家の宗旨は浄土真宗ですが、お寺さまにご挨拶に行ったり
迎え火・送り火を焚いたりしています。
・・・といっても、庭にある愛犬のお墓の前で
割り箸の束に火をつけるというカンタンなものですが(^_^;)
まあ、「モノより心」っていいますからね(笑)
迎え火のセットはスーパーでも売ってるらしいです。

さてこの季節、やっぱりこの本ですね~。

「怪談」ラフカディオ・ハーン著/田代三千稔 訳

私がコドモの頃、NHKでハーンを主人公にしたドラマがありました。
節子夫人の役はたしか檀ふみ、だった、かな・・・?
だから、「小泉八雲」が外国人だということは知っていたけど、
今回あらためて角川ソフィア文庫の「怪談」を読み返してみて
やっぱり彼はエトランゼ「ラフカディオ・ハーン」だなーと思いました。
一応、日本の怪談や伝承を題材にはしているけど、
「理想化された日本(人)像」というんでしょうか・・・
オリジナルは封建社会の陰惨な話が多いはずなのに
「古きよき時代の日本人の心」というテーマに変貌している。
なんというか、読んでてせつなくなる話が多いです。

ハーンの日本人観の特徴は
親子、兄弟、男女、主従・・・といった人間の結びつきを
誠実な情愛に裏打ちされたものとして捉えている点だと思います。
霊とは、そうした人間の想いが具象化したものだといいたいようです。
(この点、蒲松齢による清代の怪奇アンソロジー聊斎志異」に通じるものがある)
中には嫉妬の妄執に迷い出る女の亡霊の話もあるけれど、
彼女を駆り立てたのは愛する男の裏切りによるもので
本来は愛に生きる(はずだった)女の、哀れな姿なのだ・・・という考え方。
貧困の果てに凍死する幼い兄弟の悲劇「鳥取の布団のはなし」も
ハーンの眼を通すと、どん底でもお互いを思いやる健気な兄弟の物語になる。

これはアイルランド人の父とギリシア人の母を持つハーンが
家族に恵まれず(両親は離婚、後見人の大叔母も破産)
流浪の半生を過ごしてきたことと無縁ではないような気がします。
そんな彼だからこそ、「家」制度にがっちり支えられた明治期の日本や
あらゆる場面において細やかな心遣いを必要とする日本人の生活習慣に
憧れたのかもしれないなあーと思うのは、
あまりに作者の個人的なエピソードにすり寄りすぎな読み方でしょうか?
(近代国文学ゼミの恩師は、「作者にすり寄るな!」が口グセだったなあ)
ハーンの日本観については、翻訳者の田代三千稔が冷静な解説を書いており、
ちょっとリリカルな雰囲気の訳と併せて読むのをオススメいたします。

(画像は丸山応挙の「幽霊」)