「背教者ユリアヌス」(辻邦生著/中公文庫)

イメージ 1

文庫本1,100頁以上もの大長編ですが、読み出したら止まらなくて実質10日間で読了。
電車の中で、乗り換え駅のホームで、文字どおり寸暇を惜しんで読みました!
長編小説を読む楽しさを存分に味わえる作品です。
レタリングの美しい装丁も、本を手に取る楽しさを誘います♪

主人公・ユリアヌス帝(331-363・在位361-363)は
キリスト教を国教としたローマ皇帝の甥として生まれながら、
猜疑心の強い従兄弟コンスタンティウス帝に家族全員を粛清されます。
ただ一人生き残った皇族として、幽閉生活を送りながらギリシア哲学を学んだ経験から
彼はキリスト教の優位性を声高に叫ぶ皇帝のキリスト教庇護政策に疑問を感じるように。
本作は、キリスト教がもはや統治上無視できない勢力を誇るローマ帝国で、
古代ギリシアの「秩序と美」の理想に殉じたユリアヌスの、波乱に満ちた短い生涯を描いた大作。

歴史小説ってプロットがすでに決められているという「制約」があるだけに、
作家の歴史観や人間洞察がはっきり表れるんじゃないか、と私は思います。
「安土往還記」の信長や「嵯峨野明月記」の角倉素庵が西洋的な人物像にみえるのは、
辻邦生がヨーロッパ文学に造詣が深いことと無関係ではないでしょう。

・・・なんて、マジメに書いてますけど、
ドキドキできる小説が読みたい人・旅に出たい人に、オススメの小説です!

辻邦生は膨大な資料を消化した上で、非常に緻密で論理的な書き方をする作家で
「安土」「嵯峨野」しかり「ユリアヌス」しかり、歴史小説の体裁をとってはいるけど
実は青春小説じゃないの?!と思うのです。
生の充実を求めて、家業と学問の間で引き裂かれる素庵の独白にも通じるのだけど、
巨大なローマ帝国を統治することになったユリアヌスが理想と現実の狭間で憔悴して
狂信的な行動に走る様子も、やや距離をおいた冷静な文章で描かれているだけに、
途半ばにして斃れた彼の若さと痛ましさが伝わってきます。

そして、物語に華をそえるコンスタンティウス帝の皇后・エウセビアとの宿命の恋。
この恋人は六条御息所のような女性で、心の素直なユリアヌスをひたむきに愛するのだけど
彼女が決して綺麗事だけで描かれていないところが、説得力があって読ませます。
死を前にした彼女が、初めて彼と回廊で不意に出会った瞬間を思い出す場面がせつない。

そしてそしてそしてそして・・・

抑制の効いたストイックな文体で鮮やかに描かれるローマ帝国の美しさ。
この作品がきっかけで大学で西洋哲学を専攻したとか、
ギリシアに行ったという読者がいるのも納得いく美しい文章です。

アクィレイアへ護送されるユリアヌスの目に映る、プロポンティス湾の海岸線を縁どる白い波。

蛮族との戦闘を目前にした、ガリア野営地の凍てつくような夜の空気。

辻邦生の情景描写は、まるでその場に居あわせたかのように五感に訴えてくるのだけど、
「ユリアヌス」は特にその傾向が強くて、ロードムービーっぽい印象がありますね。
皇帝旗に包まれたユリアヌスの遺骸を運ぶ葬列がメソポタミアの砂漠に消えていくラスト、
映画のエンドロールでも観ているように感じた読者は私だけではないと思います。

没後9年で主要作品が次々と絶版になっていくなか、
中公文庫から「春の戴冠」(全4巻)が文庫化されたのは本当にうれしい♪
まあ、しばらく休んでからじゃないと読めないけど・・・。