十二月 月並能

☆宝生会十二月 月並能
(番組表をUP寸前に消しちゃった(T T)ので暫定的にリンク)

金沢でお能を観たばかりなのに、もう月並とは・・・。
今回も密度の高い番組&メンバーで すごーく楽しかったです!


「絵馬」
後半二番が重い曲だっただけに、明るさ、華やかさが印象に残った一番。
シテは堂々としてキリっとした謡と型で、立派な天津神様でした。
脇能物は前場が長くて状況等々によっては眠くなっちゃうこともあるんですが、
シテが登場すると舞台が引きしまる感じがあって、なかなか好感が持てました。
惜しむらくは、ツレ(姥)の謡がかなり微妙で、謡い出しからしばらくの間
多重音声が気になったことですが。
お囃子は、松田弘之さんの少し粘りのある、うねるような笛がすばらしく、
天津神の舞で、どんどん上昇していくようなお囃子の音の広がりを楽しみました。


「蝉丸」
パンフレットの解説読むまで、てっきり蝉丸がシテなんだと思い込んでいた私。
シテは逆髪だったのね・・・あー開演前に気がついてよかった・・・(^_^;A
一晩たった今ごろになって、この「蝉丸」の余韻がじわじわ~っとくる感じです!

蝉丸(ツレ)も本当にすばらしかったです。
親王の身分から一転して逢坂山にただ一人捨て置かれ、
藤原清貫(ワキ)にあなたは父帝の勅命でここで御髪を下ろすんですよ、と諄々と説かれ、
おのれの運命を抗うこともできず受け入れていく様子が、哀れで目が離せない。
シテの登場までの長い前半をツレ一人で引っ張るのは、並の力量ではできないと思います。
逆髪はご高齢のシテのため、前かがみで登場したけれど
それがかえって彼女が負う宿命の重さ、前世からの業の深さを象徴しているように見えた。
私は、こういう重鎮クラスのシテの謡がどうの型がどうのなんて書けないけれど
目に見える動き以上に訴えてくるものがありますね!
再会を喜び合ったのもつかの間、姉弟は再び巷の狂女と盲目の琵琶法師として
それぞれ一人で生きていかなければいけない。
庵を出て一人歩き出す逆髪と、見えぬ目に姉の姿を焼き付けようとするかのように見送る蝉丸。
人は誰でも、個人の力ではどうにもならない宿命を背負って生きていくものなのだ、
それ以上でもそれ以下でもないのですよ、というような気がした(←私の勝手な解釈)
シテが退場し、囃子方が立ち上がっても、見所は水を打ったように静まり返っていました。


「黒塚」
な、なんと、この曲の直前に前の席にいたオバサマが帰ってしまったので
視野が開けた席で 乾之助VS閑の、いぶし銀対決(笑)をじっくり鑑賞できました!

乾之助さんの鬼女は、賎女(しずめ)といいながら品があって知性を感じさせますね!
藁屋から出てくるときの恥じ入るような手つき、目線は端正でさえありました。
もしかして、ご本人も鬼女の複雑で理性的な内面を強調したかった、のかも?!
見どころはやはり「糸の段」で、あくまで静かに謡いつつ、糸車を突然烈しく回すところで
ただならぬ雰囲気が漂い出すのが、く~っ、たまりません!
振り向きざまに「閨を覗いてくれるな」と念押しするところも、品があるだけにコワイ。
感情が昂って阿闍梨に心を開きかけつつも、鬼の心を捨てきれない業の深さ。
後場で藁屋(閨)を背に守るようにして阿闍梨と闘う姿も哀れです。
絶対に見られたくなかったのに、裏切られたという絶望を象徴している気がします。
銀の鱗文様の摺箔に、モダンな雰囲気の切文様?の腰巻姿も洗練されていてステキです。

宝生閑さんの阿闍梨も文句なくカッコよかったです!
登場から、見るからにどんな悪鬼も調伏しそうな雰囲気。期待をかき立てます。
この「黒塚」では、意外にユーモラスなところもあるのを発見^^
狂言の強力が、夜中に閨を覗こうとするとタイミングよく起きちゃう場面とか。
あれってワキのキャラクターによって、ずいぶん雰囲気変わるんじゃないかしらん。
泰太郎が「見ちゃいました~」と騒いでも、「あ~やっぱりな。しょうがないなあ」って感じで
いわゆる懐の大きいオトナですね。だから鬼女も薪でもてなそう、と思ったのかも・・・。


そんなわけで、重鎮の舞台にドキドキした今年最後の月並能でした。おしまい。