「苔のむすまで」(杉本博司/新潮社)

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「一つのことを理解することとは、
その奥にさらに深い未知があるということを理解することだ」
                        ――「歴史の歴史」

先月、金沢21世紀美術館 「杉本博司『歴史の歴史』展」にて買った本。
21美は円形の建物の中にそれぞれ独立した展示室があるのだけど、
各展示室の入口にプリントされた杉本のコメントや解説も面白かったです。

本書は雑誌「和樂」に掲載された評論(というかエッセイ)をまとめたもので、
歴史、古典、骨董、能などを切り口に、歴史の容赦ないの流れと、
それに耐えて残ったものの「美」とはなにか?を追求しています。

これが、すっっごく面白い本でした!

一読して驚かされるのは、杉本の歴史や古典に対する造詣の深さ。
目の前の事象(たとえば骨董とか9.11の目撃体験など)が、
そうした知識や経験の記憶と次々に連鎖反応を起こして、どんどん展開していき、
気がついたら中世どころか紀元前にまで思考がさかのぼっていく過程を
著者の肩越しに一緒に目撃しているような愉しさがある、といったらいいのかな。
(杉本の、能における「時間」観は 私もわりと似たような観かたをしているので
自分の鑑賞態度にちょっとは自信持ってもいいのかな、と思っちゃいました。へへへ)

印象に残ったのは「人はどれだけの土地が必要か」。
9.11で目撃した、無機質の高層建築が何千という命を内包しながら消えていく光景に
方丈記」の大火の記述を連想し、鴨長明の 自分一人生きていくには方丈(四畳半)の
広さの仮小屋があればいい、「何に付けてか執(しふ)を留めん」という言葉と、
僅か1マイル四方の土地に世界の資本と人間の欲望が集積したマンハッタンに
思いをめぐらしていく。
人にとって土地とはいかなるものなのか。一体、価値とは何なのか。

鴨長明には方丈が必要だった。
世界の資本は1マイル四方のマンハッタン島で足りた。
インディアンから土地を買った男には、墓穴だけが必要だった。
果たしてあなたには、どれだけの土地が必要だろうか。」


※「杉本博司 『歴史の歴史』」展は 3月22日(日)まで開催。
http://www.kanazawa21.jp/exhibit/sugimoto/