宝生会 普及能「船弁慶」

能「船弁慶
シテ   :宝生 和英
子方   :植島 幹登
ワキ   :殿田 謙吉
ワキヅレ :大日向 寛  則久 英志
間    :山本 則重
笛    :杉 信太朗
大鼓   :柿原 弘和
小鼓   :大倉 源次郎
太鼓   :金春 國直
後見   :佐野 萌  中村 孝太郎
地頭   :富山 孝道

(6月26日 宝生能楽堂


なんだか今さらって感じのお能レビューですが・・・。

金沢つながりということもあって、一時期宝生の舞台ばっかり観ていたのですが
若き宗家・宝生和英氏のおシテとしての舞台(←ダジャレではない)は、未見のまま。
え~そんなバカな~~きっと私が宗家の舞台で寝てただけに違いない!
と思って、お能ファイルをたどってみるも、やはり拝見していない・・・。
で、観に行ってきました「普及能」。

船弁慶
「安宅」もそうなんだけど、弁慶って巨漢の忠臣というより参謀タイプだと思う。
冒頭の名乗りから静御前(前シテ)を呼び出すまでの、ワキの謡を聴いてると
洞察力・判断力にすぐれ、男女の機微にも通じた、いわゆるオトナの男という印象である。
都落ちをする義経の体面や精神的な影響を考慮して、静を都に返そうと進言する)
この日のおワキがそういうタイプであったかというと、それはまた別だと思うけど。。。

橋掛かりから現れた静は、華奢でお人形のように可憐な少女といった風情。
けれども謡のお声がしっかりしていることもあって、帰れというのが本当に義経の真意なのか、直接彼に会わせてほしい!というくだりでは芯の強さを感じさせる。
面は秋の花を思わせる寂しげで可憐な小面(?)で、白い、ほっそりした手でシオル風情がなんとも可愛らしいというか、これじゃ義経は心が残るだろうな~という静ちゃんだったのでした。
たとえ遠く離れても、もう一度あの人に会うために私は生きるのだ・・・はなむけの舞を舞い終え、最後に義経と向かい合った静は烏帽子の紐を解いて、装いを改めたことを表すのだけど、烏帽子がぽとり。。。と落ちた瞬間、こらえていた涙が流れ落ちたような、彼女を支えていた心の糸がふっと切れたようにも見えました。それくらい絶妙な「烏帽子の落ち方」でした。

二人の様子を見て、今夜は宿に逗留したいという義経の言葉を聞いた弁慶は、いや一刻も早く船出しましょう!と則重をせかします。主は以前はもっと悪天候の晩に船出して平家奇襲攻撃に成功した方なんだから・・・という言葉に、義経が精神的な危機にあるのではないかと思えます。
海上に出て波が荒くなってくるくだりの、則重&大小がすごくよかった。大小の打ち方が「ざっぱーん、ざっぱーん」と波の打ち寄せる音そのまま。源次郎のすこし割れた声が、波頭の砕ける様子を連想させる。則重は則ナントカの中では、東次郎に一番雰囲気が似ているというか華のある人だと思います。

やがて波間から現れる平知盛の亡霊(後シテ)。
ふと思ったのですが・・・シテが静御前と知盛の亡霊という一人二役なのは、単に演出上の効果をねらっただけではなくて、義経の潜在意識の闇の部分をシテが表しているのではないか。
弁慶が両者から義経を引き離そうとすること自体、それを物語っているのではないでしょうか?
つまり「船弁慶」は、義経が精神的な危機を乗りきった物語として読めるのではないか?と。
後シテは若々しく体のキレはよかったけれど、もうすこし重々しくてもいいかもというか、気負いの方が前に出ているような印象を受けましたが、全体を通じておシテの意気込みがビシビシ伝わってくる舞台で、好感が持てました。
まだお若いのだから、これくらいの気概がなくちゃね!

そうそう、地謡後列の見所側にいた満次郎様の、子方のサポートっぷりもステキでした。
子方の腰掛ける鬘桶は朱塗りっぽい感じのカワイイものだけど、満次郎様が膝の上にちっちゃい鬘桶を大切そうに抱いて謡っている姿が、なんだか微笑ましかったのでした。。。