最後の琵琶法師-「琵琶法師」(兵藤裕己/岩波新書)-

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琵琶法師、といえばラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」。
その「芳一」の末裔が ほんの十数年前まで存在していたという。

山鹿良之(1901~1996)。
琵琶の弾き語りのみを唯一の収入源とし、全貌を把握しがたいほどの膨大な段物(複数の段から成る長編の語り物)の伝承量を有していた、文字通り「最後の琵琶法師」だったといいます。

この本が生まれるずいぶん前、著者の兵藤裕己先生から「最後の琵琶法師」の実演テープを聞かせていただいた日のことは、今でもよく憶えています。
兵藤先生は80年代から十年余り、九州にかろうじて生存していた琵琶法師のフィールドワーク調査を行い、熊本在住の山鹿良之の自宅に泊り込んで(延べ100日以上は泊めてもらったとのこと!)録画・録音を地道に続けてこられたのだそう。
「こんな研究しているのは僕くらいなもので、いま自分が採集していかないと この芸能は永久に消えてしまう、と思った」
死期の近づいた山鹿良之がいよいよ入院したときは、病室にも通ったそうで、消えゆく芸能をなんとしても遺していこうという芸能者・研究者双方の執念を感じさせるお話でした。

4月に上梓されたこの岩波新書には、そうして録画された山鹿良之の実演「俊徳丸」三段目(約20分)が収録されています。ちなみに新書で付録DVDをつけるのは初の試みとのこと。

謡曲「弱法師」の原典でもある説教節「俊徳丸」は、主人公・俊徳丸が継母の呪いによって「盲のらい者」となり、流離・放浪するという物語。DVDに収録されている三段目は継母・おすわが丑の刻参りをして俊徳丸を呪い殺そうとする場面です。

この映像、なかなか衝撃的です。
山鹿良之の自宅での実演を兵藤先生が家庭用ビデオで録画したものなので、正直いって画質はあまりよくはありません。段物の盛り上がりに関係なく、固定した一点からのみ撮影しているし(まあ、これは研究者の記録映像だからしょうがないか)。
けれども、撮影者の演出が一切入らない分、かえって一種の凄みが出ていると思います。
「琵琶法師」という言葉に、ラフカディオ・ハーンの抒情的な世界を重ねているとザクッと裏切られます。賤民とさげすまれる一方で祭祀の主役(山鹿良之もかまど祓いを行っていたという)でもあった琵琶法師の土俗的な、荒々しい声と撥さばきにショックを受けるかもしれません。

オマケばかり紹介していますが(^_^;A・・・「本体」の内容は、日本の「声の文化」の中心的な担い手であった琵琶法師の、古代から中世・近世・近代に至る歴史的な沿革を、芸能・宗教の観点から考察するというもの。
たぶん大学のテキストとしても使われているらしく(4月上梓だし)、最近まとまった本を読んでいない私には 難解な部分もありまする(_ _)
興味深いのは、江戸時代に平曲が式楽化されていく過程において、琵琶法師が「脱賤民化」をはかるために、芸能者の中であらたな賤民階級を作り出したとか、琵琶法師の中にも平曲を扱う者とそうでない者との間に差別階級をもうけたとか、芸能と権力の結びつき、差別階級の二重構造が指摘されている点。なかなか刺激的です。

それにしても、こうしてひっそりと消えていく芸能がどれだけあるのだろう・・・。
能・狂言や歌舞伎、文楽ばかりが伝統芸能の中で喧伝されているけれど、こうした日本古来の生活と結びついた芸能にも、国は目を向けてほしいものです。