「愛についての100の物語」(金沢21世紀美術館)

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8月7日(金)、この日は羽田から日本海側に近づくにつれて雲が厚くなってきたのですが
ホテルに荷物を預けて街の中心部に着いたとたん、スコールのような激しい雨。
片町の小洒落たバールでお昼ごはんをとりながら小降りになるのを待って
広坂の21美まで小走りに移動。

今回のお目当てのひとつは、21美の開館5周年記念展「愛についての100の物語」。
4月末から始まった本企画は「愛」をテーマに、美術、音楽、文学、身体表現などの
多様な表現者たち43名の作品を展示した大型企画展です。
このうちZone2(18作品)の展示は7月下旬に終了し、横尾忠則展が始まっていましたが
Zone1の展示だけでも かなり見ごたえのある内容でした。

25作品の中で、特に印象に残ったのはチェン・ジエレン、塩田千春、ラファエル・ロサノ=ヘメル。
三者ともに、鑑賞者の身体感覚やそれに伴う記憶に訴えかけてくるタイプの作家だと思います。

チェン・ジエレン(陳界仁)「Factory」(2003)
7年前に閉鎖された台北の繊維工場を描いた30分ほどの映像作品。工場は労働者に退職金も年金も支払わないまま一方的に閉鎖し、問題は未解決のままだという。この工場にかつて20年以上働いていた女工さんたちが戻ってきて、無人のラインでミシンをかけたりする姿をグレー・トーンの映像&無声音でとらえています。60年代の最盛期の映像を挟んで、女工さん達のシミの浮いた肌、老いてミシンに糸を通すこともままならない手つきを残酷なまでに淡々と追っていくカメラ。縫い上げた上着の黒い裏地の闇をまっすぐに見すえる彼女達のまなざしは、無声音なだけに取り戻せない時間や生活を奪ったものへの抗議と、彼女達の置かれている現状を強く訴えかけてきます。湿気を帯びた灰色の闇が、肌に感じられてきそうな作品です。

塩田千春「記憶の部屋」
ベルリンの壁が崩壊した89年に東ベルリンにいた塩田は、再開発で取り壊しを待つビルや住宅の「窓」に染み込んだ人々の思いや生活の記憶を失うことに耐えられず、2年間で1500枚の窓を集めたそうです。本作品は、「窓」を塔の形に組み上げたもので、内部には古ぼけた椅子が一脚置いてあるというもの。「塔」の内側に入り込んで見上げると、無数の窓から視線が全身に突き刺さってくるような錯覚を覚えます。窓による「内」と「外」の境界が反転し、私自身の視覚で窓の「向こう側」を見ていると同時に、「窓」の向こう側の視線にさらされているという強い感覚。
あまりにインパクトが強かったため、神戸芸術工科大学での講演記録を収録した書籍「塩田千春/心が形になるとき」を買いました。

ラファエル・ロサノ=ヘメル「Pulse Room」
展示室の天井一面に電球が規則的に吊り下げられた部屋で、グリップをしばらく握っていると
自分の心拍数のリズムをセンサーが感知して、電球の点滅に変換して光るというもの。
記録が行われるたびに、心拍のリズムが隣の電球に移動して光るのですが、なんだか自分の分身を見ているような気持ち。いかにも21美っぽい展示作品です。


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金沢に行く数日前に、小中学生への美術教育プロジェクトに携わっている先生とお話しする機会があったのですが、最近のプロジェクトの傾向のひとつとして「人と人とのつながり」への強い渇望がみられるとのこと。
この企画展でも 作品を通して自分自身の「身体」や「他者」と向き合おう、対話しようという志向が強く感じられました。私の観る限り、特に21美は(森美術館などと比べても)そうした志向性が高い印象を受けるんだけどなあ。
写真は私のお気に入りスポット・「緑の壁」を通り抜ける「光の庭」。

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1階から地階に下りる階段に展示された、サラ・ジー「喪失の美学」。
よーく観ると、うちわとかペットボトルでオブジェが構成されていて、扇風機の風で動きを出しています。
会場内には出展アーティストの一人・村田仁(詩人)も来ていて、ふと気がついたら私の足元にしゃがんで紙切れに詩を書いていたのでビックリしました。作品展示はしない代わり、毎週末金沢に来てこうしたパフォーマンスを行っているのだそう・・・。

同時開催で横尾忠則展、白洲次郎&正子展もやっていて、21美でなぜ白洲正子??と思ったら北國新聞社がテナント借りて開催していた企画でした。白洲正子はなんだか食指が動かずスルー。横尾忠則はセット鑑賞券で入場。60年代の作品の方がグロテスクでパワーが感じられたけど、そもそも私はあのサイケな色彩感覚は守備範囲じゃない。というわけで感想はカツアイ。
ふだんは都内の美術展でも帰りが気になってしまうのだけど、今夜は泊まりだし~と思うと大雨での足止めも気にせず、平日で人出の少ない美術館でのんびり過ごせてよかったです♪