第7回 塩津哲生の会

イメージ 1


舞囃子木賊 片山九郎右衛門
 笛   松田弘
 大鼓  柿原崇志
 小鼓  鵜澤洋太郎

狂言「合柿」
 シテ  野村万作
 アド  野村萬斎
 立衆  石田幸雄 深田博治 高野和憲 竹山悠樹

能「望月」
 シテ  塩津哲生
 ツレ  香川靖司
 子方  宝生朝哉
 ワキ  宝生閑
 間   野村万作
 笛   松田弘
 大鼓  柿原崇志
 小鼓  鵜澤洋太郎
 太鼓  観世元伯
 地頭  狩野了一

(※10月3日 十四世喜多六平太記念能楽堂


以前、(誰だか忘れちゃったけど)能楽師のブログで、秋の舞台ラッシュシーズンを
能繁期と称していて、「ええ~っ、のうはんきぃ?~~ププッ」とウケてしまった私。
この日はまさにそんな一日で、「姨捨」に足を運んだ人もかなりいたはずだと思うのだけど
目黒の喜多能楽堂も補助席が出るほどの満席で、すごい人口密度でした。
どちらにしようか迷った方もいらしたのではないかしら・・・。

木賊(とくさ)」
木賊は竹のような節のある常緑植物です。そーいや我が家の玄関先にも植えてあるなあ。
昔は腸出血を抑える作用があるとされたことから、木賊を刈って生計を立てている人もいたそうで、シテはそんな木賊刈の老人。成人に達した息子に出奔されて、狂乱状態になって舞う場面を舞囃子で取り上げています。もともと上演頻度の低い曲で、舞囃子の形式で上演するのはさらに珍しいのだそう・・・心して観なくちゃ!
九郎右衛門の舞台は「大原御幸」以来二度目だけど、なんというか「濃い」物狂。「親は千里」でおもむろに立ち上がるまで何もしないのも珍しいけれど、シテ柱にもたれて扇をじっ・・・と見つめるなど、随所に濃厚な表現があって、妖しい雰囲気です。九郎右衛門の舞って、同じ観世流でも
東京のシテ方に比べて おっとりはんなりと艶な雰囲気。これぞ京男??
地謡は銕之丞率いる銕仙会に京都の味方玄も迎えた混合チーム。バランスもよく取れてビシッとしまっていました。てっつんはかなり気合が入っていた様子で、も~そんな顔しちゃダメっ(笑)


「望月」
で、本日の目玉「望月」ですが、これがもう、ほんっとに面白かったです!
「望月」を観るのは初めてではないのだけど、シテ、ツレ、ワキ、アイと役者が揃うとこうも舞台の密度が違うんですねえ・・・(重習のインフレはいけませんね)。

塩津さん演じる小澤刑部友房は、主君が従兄弟・望月と口論して殺された時に京都にいて、信濃の国に戻ろうとしたものの、望月が自分の命も狙っていると知り仇討を断念。近江の国・守山の宿「兜屋」の亭主として身をやつしていて・・・とけっこう具体的な自己紹介、いや名乗りで登場します。塩津友房は見るからにマジメそうな、どこにでもいそうなフツウの男といった佇まいですが、いわばお家の一大事に「逃げて」しまった男なわけで、そうした内心忸怩たる思いを抱えて日々過ごしているといった雰囲気。
その兜屋に、かつての主君の奥方&若君(花若)が宿泊。香川靖司演じる奥方は非常に芯の強い女性で、友房はこの奥方にだけは会いたくなかったんだろうなあ、これじゃあらためて忠誠を誓うしかないだろうなあ・・・と思わされます。子方は宝生閑さんのお孫さん、つまり下掛宝生流でツレとは流儀が違うので、ツレの独吟で母子登場の大部分を処理しています。

そうして、運命の歯車がじり、じり、と回り始めたところへ、なんと望月までが客として登場。
閑さんは実に堂々というか毅然とした雰囲気の望月で、身をやつしての帰途とはいいながら晴れやかな名乗り。見るからに「大人」といった風格で、もしかしたら安田殺害は望月の方に理があったのではないか、とさえ思えてくるほど。
初めてこの曲を観た時には「なんてご都合主義な」と思ったものですが、友房と望月、ともに本当なら交わることなくそれぞれの論理で生きていくはずだった二人が、偶然の積み重ねで否応なく運命の歯車に巻き込まれていく――自分で決めてきたつもりの人生は、実はこうした偶然の積み重ねによるものかもしれない――と考えさせられてしまうところに、この曲の面白さがあるのかもしれません。

従者・万作がうっかり口を滑らせて主君の名を漏らしてしまう場面、喜多流では友房が長袴の裾をきっと捌くことで殺意を表すのだそうですが、正直、それほど強い殺意は感じませんでした。
そこが物足りなかったような気もする反面、塩津友房はそれまでの過程でジワジワと「やるしかない」と思い詰めて殺意を募らせていく・・・といったタイプで、一気に殺意噴出、ではなかったような気がする。この前場の(真綿で首を絞めていくような)緊張感こそが、シテの狙ったものではないかという印象を受けました。

地謡は今回あえて若手中心にしたのだそうですが、喜多の若手、なかなかの健闘ぶりで一糸乱れぬ 力強く引き締まった謡を聴かせてくれました。
そして、盲御前に扮した奥方が杖をからん、と落としていく場面。なんだか匕首を持って夜討に向かうような立ち去り方が、またドキドキさせられます。

獅子舞は、くすんだような渋い金地に牡丹?の花をあしらった被り物に大口姿。覆面の上に被り物をかぶっているとは思えない、矢のような速さで橋掛かりから登場した友房は、望月が酔って寝入っていないか様子を窺いながら舞うのだけど、そんなにしつこく様子を窺っていないところがよかったかも。この獅子舞は割とさっぱりめ。
そして、頃合を見計らって獅子の扮装を脱ぎ捨て、「若、今ですよ!」と花若を望月のほうへ押しやります。以前見た観世の現行形と違って、花若が背後から望月を羽交い絞め(?)にし、望月が「たばかったな!何者か名乗れ!」と友房に問うところがとってもリアル。道成寺の鐘包といい、喜多流はわりと写実的な演出ですね。
閑さんの望月は「なぜ、俺が殺されなくてはいけないんだ?!」と無念さが出ていて、観ている方もそんなぁ~という感じ。で、お約束どおりワキは切戸口から退場し、友房と花若は残された笠をメッタ刺しに。
めでたく仇討ち成った友房ですが、やった~~♪という達成感というよりは、ああ、これで俺は成すべきことを成し終えたのだ・・・という安堵感のほうが感じられたのは やっぱりマジメなお人柄のためでしょうか。フツウの男が追い詰められて大事を成した、という趣の「望月」。まったく目をそらせぬ熱い舞台でした。