イメージ 1

雨の日曜日。朝からずっと窓の外を見ている。屋根に降った雨が、軒先からいくつもいくつも雫になって落ちていく。宙を漂うものは、ほんの一瞬にその形をとどめて、黒い土の中に消えていく。ただそれだけのことを、理由もなく愛おしく感じるのはなぜだろう。
「一粒一粒の雨を集めてみたい」
空に向かって、雨に濡れながら両手を広げてみた。水がからだの中を流れはじめる。雨はワタシを通り抜けて、土の中に染み込みはじめる。その瞬間、身体がこの土地と繋がっているのを知った。自分は確かにここに立っているのだ。
                                -赤木明登「美しいこと」-


帰宅途上、突然の豪雨。

休日に洗濯物を干すと、二三時間もすれば乾いてしまうような都会で暮らしていると
傘の出番は数えるほどしかない。
これが金沢となると、訪れた季節にもよるのだろうけれど、毎回ほぼ必ず雨に遭遇する。
彼の地でよく聞かれる「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉は、慣用表現ではなく実体験として
ほんとうだといえる。
実際、金沢は水の豊かな土地で、街の中心地から路地一本入った長町、長土塀地区(いわゆる武家屋敷エリア)には、家々の間を縫うように二つの用水が流れており、用水に架けた小さな橋を渡って玄関に入るというアプローチのお宅が珍しくない。中には家から用水路に下りる小さな階段を設けた民家もあって、用水路の水を日々の生活に使っていた痕跡がうかがわれる。
武家屋敷の土塀に穿たれた水門から用水へ、勢いよく注ぎ込む流れもある。お庭の曲水として水を引いているのだろう。
どこかの企業のコピーではないけれど、「水と生きる」という言葉が自然に浮かんでくる。

この夏は三日間の滞在中、中日を除いてずっと雨に見舞われることになったものの、
その分、時間を気にせず(いまさら観光スポットを見逃す心配もないので)、
雰囲気のいいお店で雨の音を聴きながら、本さえ読まずに、ただただぼんやりして過ごした。
最終日、ふと思いたって川べりのギャラリーに立ち寄り、買ったのが写真のオブジェ。
作家さんによれば「涙」だそうだけど、
私にはこの夏の雨をひと雫、つれて帰ったような気がしたのでした。