「逍遥と沙翁の出会い」-笛・謡・太棹三味線によるハムレット再生の試み-

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オール早稲田文化週間 坪内逍遥生誕150周年記念
「逍遥と沙翁(シェイクスピア)の出会い」-笛・謡・太棹三味線によるハムレット再生の試み-

 お話「逍遥とシェイクスピア  菊池 明(逍遥協会理事)

 「笛による叙情歌」 福原 徹

 「To be,or not to be」(坪内逍遥訳「ハムレット」より)
  笛       :福原 徹
  謡       :小早川 修
  太棹三味線 :鶴澤 津賀寿
(※11月2日 早稲田大学総合学術情報センター 井深大記念ホール)


今年はじめての木枯らしが吹き荒れた昨夜、
早稲田大学の文化事業の一環として行われた「逍遥と沙翁の出会い」に行ってきました。
一週間後に学祭を控えたキャンパスは終演後9時を過ぎても、学生で賑わってました。

それにしても 寒 か っ た ・・・そしてワセダの杜は広い・・・(T T)

前半は逍遥協会の方のお話と、出演者のプレ・トーク
私、大学では国文科(しかも近代文学専攻)だったくせに、逍遥については恥ずかしながら詳しく知りませんでした・・・。(汗)
お話では逍遥とシェイクスピアの関わり、逍遥が日本の演劇史上に果たした功績がわかりやすくまとめられていたので、以下、概要(というか超要約)を紹介します。

逍遥がシェイクスピアと「出会った」のは、明治7年に愛知外国語大学で外国人教師による朗読を聴いたときのこと。
幼年時代から歌舞伎や浄瑠璃に親しんだ逍遥は、東大在学中に「『ハムレット』の王妃の性格について論ぜよ」という試験でハムレットの母ガートルードを道徳的に批判して失点したことから、日本の文学と西洋の文学との違いに直面し、以後、西洋文学の研究に必死で取り組みます。
逍遥の研究内容は多岐に渡りますが、特に内外の演劇研究に大きく貢献しました。
「わが国の国劇に寄与するもの」とシェイクスピア近松の研究に取り組んだ成果は大正15年、台詞と地を浄瑠璃体で翻訳した沙翁全集(全40巻)として結実します。
シェイクスピアの作品自体は逍遥以前にも素材として注目されており、川上音二郎らによって「翻案」として上演されていますが、原典どおりの翻訳・上演は逍遥訳の「ハムレット」が最初です。
明治44年、逍遥は上演に際し「シェイクスピアこそは(時代や国は違っても受け入れられる)『世界の詩人』である。この『世界の詩人』を取り入れるには机上の空論ではなく、日本人の心をもって実践(上演)すべきである」と抱負を述べています。

・・・つまり、この「To be,or not to be」は日本の伝統芸能の一線で活躍する演者たちが、日本人の心をもって取り組む、「ハムレット」再生の試みである、ということなのですね。

「To be,or not to be」は委嘱作品で、今回が3回目の再々公演です。
プレトークによると、作曲者の福原さんは当初から小早川さんとの「笛と謡」による作品にしようと決めていたそうですが、テクスト選定は「小早川さんはハムレットに似ているから、『ハムレット』がいいんじゃないか」と、シテのイメージで決めたのだそう…というお話の間、当のハムレットはまるで鉛筆のような顔をして背筋を伸ばしておられました(笑)。

休憩を挟んで、お待ちかねの舞台。

正面向かって右端に笛、左に太棹三味線を配置。
中央にはビロードの肘掛け椅子を置き、シテ(?)はその前にうずくまるようにして座ります。
照明は左右サイドのみスポットライトを当てており、闇の中から前国王の亡霊が死の真相を謡うという始まり方。
ハムレット」のテクストを抜粋したこの作品で、小早川さんは一人何役もこなす一人芝居という形式。亡霊になったりハムレットになったりオフィーリアになったりして、そのたびに左右の裾を摺り足で出入りするので、大忙しです(笑)
台詞も、謡→せりふ→謡と入れ替わって非常に演劇性の強いもので、せりふといっても現代劇のではなく狂言のそれに近い感じです。所作はお能のもの。レアティーズとの決闘の場面はフェンシングの動き(笑)で場面処理もゴチャゴチャした感じで、ちょっとどうかな~と思ったのですが(^_^; 能のチャンバラにしようか迷ったのかな。。。
シテ(といっていいのだろうか)は、思い詰めた若者の孤独、徐々に人間不信の絶望に塗りつぶされていくハムレットの内面を繊細にとらえていて、ハムレットに似ているというのも納得です。特にオフィーリアを「尼寺に行きゃれ」と追い払うハムレットと、絶望のあまり狂って水に沈んでいくオフィーリアには、小早川さん、相当気合が入ってましたね(笑)もちろん紋付袴で演じたのですが、オフィーリアは若女の面に紅白段替の唐織姿の、ほっそりとした美女の姿が見えるようでした。

とにかく極限まで余分をそぎ落としたシンプルな舞台で、現代劇の役者ではなく能楽師の謡を用いたことで、「ハムレット」のエッセンスを抽象的に描き、観客の内面に訴えかける作品だと思います。私は笛と謡だけの初演は観ていないのだけど、太棹三味線を取り入れたことで舞台の聴覚的・心理的空間に奥行きというか陰影が生まれたのではないかと想像します。
演劇の要素をかなり取り入れているので能楽師にはスリリングな舞台ではないかと思うのですが、それが違和感をあまり感じさせなかったのは、作曲者・演者の努力ももちろんだけど、やはり原典の「ことば」によるものが大きいのではないでしょうか。上演前に逍遥のテクストにさっと目を通して驚いたのは、台詞が(浄瑠璃体とはいえ)生きた表現というか、役者の息遣いが伝わってきそうな ことばだったこと。少なくとも伝統芸能を見慣れた当時の観客には、自然に受け入れられたのではないかと思います。

こんな試みをしている方々がいるんだなあ~と、目からウロコの舞台でした。

それにしても、こんな充実の企画が入場料500円なんて、さすが早稲田大学、太っ腹~~。
他にも面白い企画があるようなので、案内もらってきましたよ。
太っ腹ついでに4回目の上演も期待します♪