「観世家のアーカイブ」

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東大教養学部60周年記念として「観世座のアーカイブ 世阿弥直筆本と能楽テクストの世界」が、東大駒場博物館で催されているので、会期終了前日に渋谷で用事があったついでに行ってきました。(←会期は本日18:00まで。ゴメンナサイ!)
今月は能楽堂に足を運べなかったかわり、早稲田、東大と大学でお能にふれてます(笑)

観世宗家の伝書調査自体は昭和20年代から行われていたけれど、このたび当代二十六世観世清和の協力のもと、科研費による調査プロジェクトが実施され、所蔵する資料のうちなんと4,500点(!)がウェブ上で公開されることになったのだそうです。
点数がすごいだけに、事業仕分けの前に完成してよかった~!という清和氏の声が聞こえてきそう・・・(^_^;)

肝心の展示ブツ自体は、私にとっては文字通り「山猫に小判」で、むしろプロの能楽師が観たほうが価値がわかって楽しめるのではないかと思いますが、能の伝承と普及の歴史という観点からも興味深い企画でした。
見どころはやはり世阿弥直筆の「花伝第七別紙口伝」「花習内抜書」「花伝第六花修」。
有名な「秘すれば花」に近いくだりを実際に目にして、ちょっと感激。意外に肉厚というか男性的な筆跡で、紙が貴重な時代だったからでしょう、書き損じもそのまま墨で塗りつぶして書いているのが、焼失をからくもまぬがれて焼け焦げた紙の上に生々しく残っていて、ああ世阿弥ってやっぱり実在の人物だったんだなあ~と(当たり前のことだけど)実感させられたのでした。
重要文化財の能本(上演台本。いわゆる謡本とは違う)「難波梅」「松浦之能」「アコヤノ松之能」「布留之能」も会期限定で展示されていたそうで、私が行ったときは写真複製のみの展示でした。
世阿弥という人は、自分が実現しているパフォーマンスや声を、文字という媒介を通して確実に伝えるために、能本は全文カタカナ表記、さらに当時では珍しい促音や内破音の「ッ」を用いています。濁音表記や促音表記は、日本語の表記史上の先駆でもあるそうです!
当時、読み書きもろくにできない能楽師がわんさかいた中で、文字(ことば)という媒介に対して意識的であったという意味でも、世阿弥は時代の先駆者だったのですねえ・・・。そうした世阿弥の、既存の芸能や価値観に安住しない姿勢というか本質的な怜悧さといったものが、もしかしたら将軍の不興を買って流罪につながったのかもしれない・・・なんてことまで考えてしまいました。

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そして、観世座不遇の時代に伝書のアーカイブを作成し、後世に芸を伝えようとした観世大夫たちの情熱と執念。特に十五世観世元章の代に、小書や改作をどんどん出したり、謡本を読みやすい文字表記にしたことにより観世流が広く普及したといわれています。元章が演出をびっしり書き込んだ光悦謡本も出ていて、肉筆だけに一心不乱に書き込んでいる姿が目に浮かびそう。
もっとも、あまりにも学術的にいじりすぎたので、元章の死後すぐに将軍様
「こんな理屈っぽいのやめようよ!」という鶴の一声でほとんど元に戻ってしまったそうだけど・・・。家元があまり過激に改革しちゃうのもよしあしってことなんでしょうか。

もちろん、実際にいろいろな舞台を観たり謡・仕舞をお稽古するのが一番だとは思うけど、こうした歴史的・学術的側面から能にふれてみるのも、新たな視点を持つことにもつながって面白いかもしれませんね。