「第1回 満次郎の会」

解説 「今宵の能を楽しむために」  辰巳 満次郎

仕舞
「岩船」  佐野 登
「天鼓」  金井 雄資
「草薙」  宝生 和英
「笠之段」 観世 清和

狂言「栗焼」
 野村 萬
 野村 万蔵

一調「三井寺 近藤 乾之助
 小鼓 :大倉 源次郎

蝋燭能「邯鄲 傘之出」
 盧生  :辰巳 満次郎
 勅使  :森 常好
 大臣  :森 常太郎  則久 英志
 舞人  :田口 将成
 興昇  :殿田 謙吉  大日向 寛
 呂仙王 :野村 扇丞
 笛   :藤田 六郎兵衛
 小鼓  :大倉 源次郎
 大鼓  :柿原 弘和
 太鼓  :観世 元伯
 主後見 :宝生 和英
 地頭  :小倉 敏克
(※12月4日 宝生能楽堂

前回の記事で「11月は能楽堂に足を運べなかった」と書いたけど、「あまねく会」に行ってました。番外仕舞一番だけ。どんなに忙しくても「あまねく会」(の番外仕舞)だけは、皆勤賞の私・・・。
したがって、満次郎さまの記念すべき第1回自演会「満次郎の会」を、やまねこが外すはずもなく、会の前夜は、塗ったり、こすったり、磨いたり、叩いたり(←?)、装束選びに深夜まで大わらわ!
だって、HPにこんなこと↓が書いてあるんですよ~~!!

必ず、素敵な一夜をお届けいたします。

はたして、期待にたがわず、いえそれ以上にすばらしい夜でした。
来年のチケット、もう今から予約したいくらいです!!

定時と同時に職場を脱走し、能楽堂入りしたのが開演30分前。
いつもは、よくいえば質実剛健な宝生能楽堂のロビーは、「サロン・ド・マンジロウ」(←勝手に命名)状態と化しておりました~~!!
これがですね~、本当にすごかったのですが、詳細はあらためて。

解説は、当初予定されていた先生が到着されていないというアクシデントで、急遽、満次郎さまがつとめることに!きゃ~~~っ♪♪(←黄色い声)
これがとっさの解説にしては(ブログで解説を書かれているとはいえ)、とってもわかりやすくて、
しかもユーモアも忘れない。さすが満次郎さま!
「(「邯鄲」は夢をテーマにした能ですが)、みなさんは夢の世界に入らないでください!」
「眠ってもイビキ、歯ぎしりは禁止です!」
「暗いからどうせわからないだろうと思っても、ちゃんとわかってますからねっ!!」
来年もぜひぜひ、主催者ご本人による解説をお願いしま~す♪

番組前半は観世宗家をスペシャルゲストに迎えての仕舞、狂言、一調。
宝生流は、別会とか社中発表会でもない限り仕舞を観る機会が少ないから、こうした自演会で仕舞や一調が楽しめるのはヨイ♪仕舞って、未見のシテや なかなか舞台を観に行けないシテを知るチャンスでもあると思います。仕舞はaround50(笑)が中心で、いずれも実のある方々ばかり。特に観世宗家、金井雄資お二方の舞が対照的なタイプながら印象に残り、来年のお楽しみが増えました。
乾之助VS源次郎の「三井寺」は、見えない絹糸が張りつめているような緊張感と、つややかな情緒の世界。月のきれいな晩に、代々木能舞台のような半屋外の座敷能舞台で聴いてみたかった一番です。

そして「邯鄲」。
蝋燭能とはいえ、意外と明るくて舞台が割とよく見える。パンフレットの写真では色鮮やかな装束も、蝋燭の灯りのなかでは色が落ち着いてしっくりと映ります。
そういえば、番組前半もいつもより見所の照明を落としていたのだけど、やまねこ的には見所の照明は暗い方がいいと思います。演能中に謡本やプリントをガサガサいわせる人がいなくなるのも、大変よろしい(笑)
呂仙翁は、能では邯鄲の宿の女将なんですね。扇丞女将は狂言では珍しく鬘をつけていたのだけど、これがミョ~におでこが狭い鬘でオバチャンぽい感じです(笑)。
今回は「傘之出」という小書がつくので、満次郎さまは傘をさして登場。
この盧生が・・・・・・もともとお体の大きな満次郎さまがボリューミーな黒頭をかぶり、さらに野点に使うような巨大な藍色の傘を差しているもんだから、舞台の三分の一くらいが占有状態に!というのは冗談だけど、それくらい大きく見えます。
そんな視覚効果(?)と、大きな毛筆を振るったように堂々とした謡のせいか、満次郎さまの盧生は悩める引きこもり青年というより、自負心の強さから踏み出せないタイプに見える。そう、虎に変身した「山月記」の主人公のような。こういう人は、やっぱり飛羊山の賢人の言うことじゃないと納得できないんでしょうね。扇丞女将にもエラソーな態度の、世間知らずのお坊ちゃんぶりと、それを軽~く受け流して邯鄲の枕をすすめるオバチャン扇丞の掛け合いが、バランスが取れていていい感じです。

「邯鄲」を観るのは初めてだけど、夢の世界に入ってから シテはほとんど邯鄲枕の寝所にして宮殿の玉座である一畳台に入ったままなのが、単に演出上の工夫だけではなく盧生の内的世界を象徴するように見えるのが面白い。
夢の中で、楚王として栄華の50年を過ごす間もシテは気だるそうというかボーッとしていて、こうした人物造型がはっきりしているところが満次郎さまらしい。大臣たちに千年の長寿を祝われ、興に乗って舞い始めるのだけど、あの大きな体で狭い一畳台いっぱいに ぐるぐる舞ったり踏み外しそうになるのが、なんだか、さなぎにも似た小さな世界の中で、千年という気の遠くなるような時間とともに、盧生の内面がめまぐるしく動いているんだなという感じ。夢という疑似体験とはいえ、どんな叡智も真理もみずからの体験として内面化しないことには理解できないということなのだろうか。
やがて誰もいなくなった舞台に下りた盧生の舞がだんだん早くなっていく。ここの舞は力強く、型が本当に美しくて、満次郎さまらしいスケールの大きな舞です。
そして足拍子を踏んで寝所に飛び込んで臥せることで夢から覚める場面。まるで虎が草叢に身を翻すように、ひらりと跳躍して一畳台に横臥するのです!いくら黒頭をつけているとはいえ、衝撃で面がずれたり、一歩間違えれば怪我をしかねない型もすごいけれど、それ以上に、そんな大きな型の直後に夢から目覚めた寝起きのようなもわ~んとした謡が出てくるのには本当にカンタンさせられました。

常の演出なら、「オレやっぱりウチに帰るわ」と盧生が帰っていくところで終わるのだろうけど、
「傘之出」はアイが一の松で「また重ねて御参らせ候へや」とシテに傘を渡し、傘を差して帰っていくシテを見送るという演劇的要素の強い演出。扇丞さんの「また重ねて~」が絶妙で、邯鄲の枕の力をもってしても、人間そんな簡単に悟りきれるものじゃない、迷ったらまた来なさいよ・・・と人間の弱さを認めたうえで希望を持たせる終わり方だと思います。
シテはもちろん地謡・三役も心身ともに充実した舞台で、自演会のスタートにふさわしい晴れやかな舞台でした。