京都・金沢旅行記 京都篇①

25日から三泊四日で京都・金沢に行ってきました。
オフシーズンというか(特に金沢では)観光シーズン終了間際!というタイミングでしたが
その分混雑もなく のんびり過せましたよ。
しばらくの間、古都の旅日記を 長く、しつこく、じっくりと続けることにいたします。

京都初日は、通勤ラッシュをくぐり抜け「のぞみ」に乗車。
駅で買ったパンを食べてゴソゴソしているうちに眠くなって、富士山は見逃しました。
気がつけば名古屋。あ~~今日のルートを確認しなくては!

<1日目・京都①>
南禅寺 ~ 青蓮院 ~ 知恩院 ~ 高台寺 ~ 二年坂産寧坂 ~ 祇園先斗町

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この日は南禅寺からスタートして、東山地区を南下し先斗町でゴール!というコース。
地下鉄の駅から歩くこと10分あまり。有名な疎水橋は、明治期(1890年)に日本人のみで完成された琵琶湖疏水のトンネルで、当時の日本の土木技術の高さを物語るものです。
これが視界に飛び込んできた瞬間、頭の中で「そうだ京都行こう」がエンドレスでかかりだす私もそうとう毒されていますが、疎水橋で心ゆくまで一眼レフを駆使した面々は「さ、次行こ」と帰っていくではありませんか!え、大方丈見ないの~???

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南禅寺の本方丈には、元信・永徳・探幽ら狩野派の絵師による障壁画120面があり、重要文化財に指定されています。写真右手・長廊下沿いの室内に障壁画が展示されています。
廊下に面したガラス襖のちょうど顔の高さにあたる箇所だけ、四角く開いていて、そこから襖絵を観られるようになっています。いくら室内に入れないとはいえ、ガラスケースに入れない襖そのままの状態で展示されているのです。ああ、手を伸ばせば届きそうなところに永徳が・・・。
小春日和のほの明るい室内で観る狩野派の障壁画は、美術館の照明の下でのように観るものを派手やかな線描と色彩で圧することなく、華やかな時代の残り香を静かに漂わせていました。
中でも探幽による「虎の間」続きの襖絵は、照明のない室内で虎が訪れる者を静かに狙っているような緊張感と華がありました。あ~、やはり襖絵は実際にそれが置かれているところで観るものだなあ。

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南禅寺を出て三条通を道なりに歩いていくと、知恩院に通じる道に出ます。
出発前に母から「知恩院に行くなら、青蓮院でお香を買ってきてほしい」と頼まれていたのを思い出し、知恩院三門の手前にある青蓮院へ。
このお寺の境内には樹齢何百年という楠の巨木が何株もあって、なんだか今にも動き出しそうな迫力。特に境内入口のは写真におさまりきれませんでした。「主」ですね、お寺の・・・。

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知恩院の三門。周囲を圧するような威容。
ここの石段は一段一段がとにかく大きい!脚を持ち上げるようにしてヒーコラ言いながら登りきって振り返ったら・・・貧血起こしそうな急勾配。二度と通りたくないよ~~!
この三門の裏に、ヘンなものが安置してあったのですが、それは別の記事で。

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三門を入ったとたん、なにやら異様なざわめきと連続打音が。なんだろう・・・?
本堂の前は人だかりができていて、何かの行事が行われているようです。

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本堂の中では、何百人とも知れないお坊さんと檀家の人たちが一斉に木魚を打っています!
写真右端には巨大な木魚も見えます。
私の地元は浄土真宗の家が多くて木魚を見る機会すら珍しいだけに、本堂を埋め尽くした人々が一糸乱れず木魚を打っている光景は壮観でした。
この日は法然上人の御身拭式(おみぬぐいしき)があったようでしたが、昔の人はこうして皆で
お経を唱え木魚を打つことで救済を得られたのかもしれませんね。