京都・金沢旅行記 金沢篇③

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金沢の典型的な町家づくりの商家は、近江町市場から東茶屋街にいたる通り・尾張町で見ることができます。
町名からして、このエリアは加賀藩初期の城下町整備にあたり、前田利家の出身地である尾張などから呼び寄せた商人たちが住んだ町だったのでしょうか。藩の御用商人として特権を与えられた彼らは、後に家柄町人として隆盛します。茶の湯にも深く通じ、時代とともに裕福な町人も輩出したことで、茶の湯の美意識を金沢に伝播させるという文化面でのパトロネージュとしての役割も担ったのだそうです。また、職人もこうした客層の影響を受けて、座敷や庭に触れることも多かったこともあって、必然的に茶道や華道、さらには能楽や美術の心得が求められるようになり、いわゆる「空から謡が降ってくる」土地柄ができあがったのだそう。
金沢というと武家文化のイメージが強いけれど、こうした町人階級がものづくりの面から文化に果たした役割も大きかったのですね。

写真は加賀麩の老舗「不室屋」。後方の和洋折衷の木造家屋も、敷地の状況からして不室屋所有なのでしょうか?

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土蔵側から見た不室屋。土蔵の壁に「ふ」の屋号が鏝でほどこされています。
立野畳店に比べて、開口部を極力小さく抑えた造りになっています。

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石黒薬局。インパクト大の灯篭型看板(?)を撮ろうと、目いっぱい背伸びして撮影しました(^_^;A 中は普通の処方箋薬局です。
ここでも二階の袖卯建、一階庇下のサガリがみられます。

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森忠商店。よ~~く見ると、表に印半纏がディスプレイされています。
金沢の商家で特徴的なものは、二階または三階部分の上部にやぐら(?)があること。
四方見渡せるような窓があるところから、火の見やぐら的な役割があるのでしょうか??

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東茶屋街の路地。
東茶屋街~といえば、反射的に連想するほどの(一階部分の)格子を「キムシコ」といいます。
昔はベンガラ色という特有の赤(お茶屋の壁などに使われている)が見られたそうですが、近年に手を入れられたものは白木地のままのものが多く、自然に風化して渋い色合いになっています。キムシコは通りに面し、「みつけ」という12ミリほどの竪桟が6ミリ幅の間隔(「あき」)で並び、その細い桟の形状から、加賀格子とも呼ばれています。「みつけ」と「あき」の幅加減で、外からは中が見えづらく、室内からは通りが見えやすくなっているという工夫があります。これは、台形の桟の底部が表向きに取り付けられ、内側は頂部と「あき」の広がりが採光を良くするという仕組みになっているのだそうです。
往来の絶えない通りに面し、隣近所との距離がほとんどない町家ならではの、プライバシーを守る生活の知恵と美意識のあらわれでしょうか。

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こちらは個人の住宅らしき町家。やはりキムシコを配し、雪よけの石組みがみられます。
こうした町家建築を支える建具職人さんは、ごたぶんにもれず後継者難で廃業するところが増えており、また個人住宅の場合は維持管理自体が難しいことなどから、昔の意匠を残した住宅型の町家は少なくなっているようです。今回の滞在中も、キムシコをアルミサッシに替えているお宅を見かけました。

京都でも金沢でも実感したのは、とにかくクルマを降りて歩かなければ街の空気にもふれられず、街の魅力を知ることもできない、ということ。バスやタクシーの車窓からは見えない路地に入りこんだり、表構えだけなく横や裏側も見るには足を使うしかない。あたりまえだけど。
その甲斐あってか(?)、金沢においては観光客や近県から来たとおぼしきお婆さんから たびたび道を尋ねられ、もちろん金沢市民のふりをして丁寧に近道まで教えてあげちゃうようになった、やまねこでした・・・(^◇^;)