第18回のうのう能 「観世&宝生 IN 壇之浦」

イメージ 1


解説「源平の争いと壇ノ浦の戦い
中村健史

能「船弁慶/後之出留之伝」(宝生流
 シテ  :辰巳満次郎
 子方  :石黒空
 ワキ  :殿田謙吉 則久英志 梅村昌功
 アイ  :山本則重
 笛    :一噌隆之
 小鼓  :成田達志
 大鼓  :亀井広忠
 太鼓  :観世元伯
 主後見 :野月聡
 地頭  :宝生和英 


能「碇潜(いかりかづき)/船出之習」(観世流
 シテ  :観世喜正
 子方  :奥川恒成
 ツレ  :遠藤喜久 鈴木啓吾
 ワキ  :殿田謙吉
 アイ  :山本則秀
 笛    :一噌隆之
 小鼓  :成田達志
 大鼓  :亀井広忠
 太鼓  :観世元伯
 主後見 :観世喜之 
 地頭  :味方玄
(※1月31日(日)国立能楽堂

行ってきましたよ~。
今月は「船弁慶」(または知盛)強化月間みたいなオモムキになっています。

この日はやまねこ、風邪気味でノドがイガイガしていたのだけど、泉鏡花「外科室」のヒロインのように、お薬飲んで心に秘めた想い(←どこがだ)をウワゴトで口走ったらどうしよう・・・じゃなくて、イビキをかいたりしたらタイヘン!と薬をガマンして参上。
満次郎さまも、解説のプレトークで今回も誰も寝てはならぬと言うたしね。


船弁慶
この日のレディ・シズカは、明るい葡萄色の地に金と朱で花々をあしらった唐織着流姿。
面は孫次郎ですが中身は満次郎です(←逆だったらコワイ)。この孫次郎は顔のパーツがほどよく広がっていて、艶麗な雰囲気を持ちつつ すっきり垢抜けた印象です。
弁慶に呼ばれて私室から出てきた静は、第一声から毅然とした謡で まっすぐな立ち姿もあって精神的に自立していそうな印象です。義経に直接会って帰京をうながしているのが彼自身の意思なのか確認したいというのも、弁慶を疑うというより、ワタシと彼の関係なら直接確認するのが当たり前、家臣の言葉に従うなんてありえない!という感じ。毅然として誇り高い、大人のイイ女です。船弁慶は三度目の鑑賞だけど(ちなみに前のは和英宗家、塩津哲生)、シテによって静の印象がすごーく変わりますね。当たり前だろうけど。満次郎さまの静は、わりと現代的な感じがしました。
この舞台では舞いながら義経を見て涙を流す演出もあるそうだけど、そういった「情」はやや抑制していたように感じられました。それだけに「烏帽子直垂脱ぎ捨てて、涙に咽ぶ御別れ」で烏帽子の紐をぱらり、と解いて静・義経がシオりながらお互いに背を向けて別れる場面、生木を裂かれるような別れの悲しみがグッと伝わってきました。あの烏帽子の紐って静の自制心のあらわれなんでしょうね。ただ、後見の方は二回も落とさないよう、シッカリ結わえてほしかったです。

例によって「やっぱりもう一泊」「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」という主従のやりとりの後、弁慶に呼ばれた船頭・則重が猛ダッシュで船をチャーター。地謡は波は穏やかだというものの、低めトーンで暗く謡うので天候が変わりそうな予感。案の定、大波が襲ってきて必死で舵をとる則重は謡も型も華があるし、ワキツレの言葉にカッとなって抗議する姿も若い船頭らしくてよかったです。
そして波間から現れる平知盛の亡霊。いったん幕を上げてから再び半幕で鬘桶に腰掛けている姿を見せる演出が、波間に知盛の姿が見え隠れしているようです。厚板に狩衣を重ねた定番スタイルで、紺地にブロンズっぽい立浪の半切が目にまぶしい。どん!がん!と足拍子を踏むたびに稲妻が光り、波頭が砕け散るという感じで迫力満点。やまねこは前正面の前方にいたのだけど、見所にまで振動が伝わってました~!長刀を繰り出すたびに風が巻き起こるような華やかな知盛です。こういう曲得意なんだろうなあ。イガイガも忘れて見入ってしまいました。この「後之出留之伝」、いったん幕に入ってからも再び半幕で知盛の姿が見えるのが、弁慶の法力でひとたびは退散してもなお、波間に知盛の無念の思いが漂っているようでもあり、義経の前途を象徴しているようでもあり・・・印象深い終わり方でした。


「碇潜」
平家一門ゆかりの僧が、壇ノ浦近くの早鞍の浦から対岸の門司に渡ろうとして、いわくありげな船主の老人(平教経の亡霊=前シテ)と出会い、老人は壇ノ浦の合戦に散った教経の最期を語って姿を消す。
僧が平家一門のため読経していると、夜更けの海上に舟が浮かび上がり、船中の安徳天皇(子方)、二位尼(ツレ)、大納言局(ツレ)、知盛(後シテ)が平家の最期の様子を再現し、二位尼三種の神器天皇を抱き大納言局を従えて入水する。そこへ源氏方の亡霊どもも現れ激しい戦いが繰り広げられる。知盛の亡霊は長刀をふるい奮戦するが、勝ち目が無いと知ると「今はこれまで」と碇を担いで入水する。

・・・という内容で、典拠は同じ「平家物語」でも、船弁慶とは似て非なるというより全く別の曲だと思います。
前場はオーソドックスな老人の一人語りで、船弁慶に比べて地味~な分、後場にボリュームを置いた構成になっています。
「碇潜」にはいくつか演出パターンがあるそうだけど、「船出之習」という小書がつくと二位尼安徳天皇も出すのだそう。
後場では、さっきの船弁慶で使ったとおぼしき白い船の作り物の上に、グレーの引き回しを掛けた屋根の作り物を載せて、海上の御座所に見立てています。引き回しをはずすと安徳天皇二位尼、大納言局、知盛が現れるのですが、後見はタイヘンだっただろうなあ。
この「船出之習」、わかりやすいというか結構説明的というか、地謡のナレーションとおりに登場人物が動くのだけど、特に二位尼三種の神器を抱え幼い天皇を抱き・・・ってくだりは、なんというか、ミもフタもないくらいそのまんまでした(笑)
シテは高めの声質で甘く華やかな謡の持ち主だし、舞もダイナミックでキレがいい、端的にいうと「華のある」タイプ。満次郎さまと比べると全体的にやわらかい雰囲気ながら、大掛かりな作り物で狭くなった舞台上で長刀を自在に振り回し、文字通り獅子奮迅の大活躍です。やがて船上から碇(かなりリアルな作り物)を手繰り寄せ、頭上に担ぎ上げて橋掛かりへ横スキップ(?)していくのは、相当な身体能力の高さが要求されそう(勢い余って欄干にぶつかってたけど)。三の松のあたりで碇を後方へボーンと投げて安座し、幕に入るという豪快・てんこ盛りな演出です。

ただ正直いって「碇潜」の後場は長かった。ちょっと欲張りすぎなんじゃない?
教経、二位尼、知盛がそれぞれ自分語りをしすぎて主役・知盛にフォーカスしきれないという意味で、構成に難があるように感じられました。
その一方で、「観世家のアーカイブ」での元章のエピソードがチラチラし、こうした小書が作られた時代背景というか当時のニーズはどんなものだったのだろう?という興味を引かれもしたのでした。違和感を感じたところにアンテナを刺激されるというか・・・。

それにしても、ガッツリ根性系の満次郎さま&おっとり御曹司系の喜正、タイプは正反対ながら二人とも進取の気性に富んでいて、刺激的で大満足な舞台でした。
また、「のうのう能」のパンフレットも曲の解説だけではなく、平家物語を典拠にした能を紹介し、平家の系図や年表と対照して曲の歴史的背景がわかりやすく取り上げられていたり、曲の進行や装束もイラストでの解説がついていて全22ページ!とても密度の高い内容です。
これだけのレベルのものを作るのは、知識、企画力、手間ひまが相当かかっているはず・・・。
(ついでにアンケート回答者へのプレゼントは、写真の干支飴。のどイガイガのやまねこにはタイムリーなお土産でした。ありがとう喜正☆)
・・・などなど、若い世代への能の普及という点でも、いろいろと考えさせられる公演でした(←干支飴がかい?!)