ガラスの雨つぶ

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若手作家の作品のいいところ(のひとつ)は、自分でも作品を買うことができること。
ただ「観る」ことから一歩踏み込んで、
その作品を所有する=日常生活の中に異なるものを取り入れることで
自分と作品の関わりから、未知なる<何か>を見出すことができるのではないか。

写真は、去年の夏に金沢のあるギャラリーで買った「ガラスの涙」。

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街の中央を流れる川のほとりの 小さなギャラリーの二階に上がったとき
真っ白に塗られた部屋中に吊るされた、無数の滴の透明な美しさに魅せられた。
ひとつひとつ形や大きさ、ワイヤーの長さが異なる滴は、
窓の外の川辺の緑を映して、儚い時間の移り変わりを宿しているように見えた。
ちょうどこの日も ごたぶんにもれず雨が降っていたこともあって、
つれて帰ってきた子を 私は「金沢の雨つぶ」と勝手に呼んで窓辺に吊るしている。

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先月、東京に雪が降った朝の「雨つぶ」。

金沢から帰って部屋に吊るしたときに気がついたのだけど、このガラスは
加工の過程で手を加えているのか、ただの無色透明ではなくて虹色に光るのだ。
朝、目が覚めた時まっさきに目に入る「雨つぶ」は、一日の時間の流れの中で
微妙にその色合いを変えながら、ほのかに光を放っている。
休日でさえ予定でどんどん埋まっていく、せわしない毎日を送っている私は
この「雨つぶ」を身近に置くことではじめて、この小さな部屋の中にも
刻々流れていく時間のひとつひとつに、色や光が宿されているのに気がついた。

その作家さんから、先日、展示のご案内をいただいて
先週の午後、吉祥寺のギャラリーに足を向けた。
シンプルな一枚板のテーブルに並べられた、さまざまな色あいのグラスは
窓から差し込む西日を浴びて 小さなステンドグラスのようだ。
夏と暮れにお会いした作家さんは在廊されていたものの、
熱心に話しかけてる人たちがいたこともあって、ご挨拶しそびれた。
(まあ、ご挨拶したとしても↑のようなことは恥ずかしくて絶対言えないけど)
近いうち、霙のようなカッティングを施した透明グラスの器を使って
新鮮な野菜やくだものを ゆっくり味わってみたいなあ。
 
もうすこし、ていねいに暮らしていきたい。