銕仙会 四月定期公演

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能「巴」
 シテ  浅見 真州
 ワキ  大日方 寛
 アイ  山本 則孝
 笛    中谷  明
 小鼓   鵜澤洋太郎
 大鼓   柿原 崇志       
 地頭  観世銕之丞
 後見   永島 忠侈
     浅見 慈 一

狂言「梟」
 シテ   山本 東次郎(代演)
 アド    山本 則重
 〃     山本 則秀

能「西行桜/素囃子」
 シテ   野村 四郎
 ワキ   宝生  閑
 ワキツレ  森  常好  舘田 善博  森 常太郎  御厨 誠吾  殿田 謙吉
 アイ   山本泰太郎       
 笛     寺井久八郎
 小鼓    幸 清次郎
 大鼓    國川  純
 太鼓    三島元太郎       
 地頭    山本 順之
 後見    浅見 真州
      鵜澤 郁雄

(4月9日 宝生能楽堂


今月の銕仙会は、ベテラン・浅見真州&野村四郎のダブルヘッダーだけあって
見所はほぼ満員の盛況。さすがに前正面は取れなくて、脇正面前方での観能です。
さらに!「梟」のシテ・山本則直の代わりに山本東次郎が!!
というわけで、武田百合子さんいうところの「金ぴかの気分」で楽しんでまいりましたよ♪

「巴」
巴御前というと高校古典の教科書で、巴が自分より体格の勝る大男を鞍から引きずり落として「首ねじ切って捨ててんげり」というフレーズをいまだに強烈に覚えてるのだけど(←そこしか覚えてない)、そこは能だから(笑)、美女にかような蛮行はさせず長刀で敵をなぎ払うのです。
「平家」には、忠度とか実盛にも「首ねじ切って~」というフレーズが出てくるのだけど、一騎打ちの相手を鞍から引きずり落として首を自分の鞍に押し付け一気に・・・というのが合理的な攻撃方法だったのか、琵琶法師という「語り手」を介していくうちに、リズム感のある(?)「首ねじ切って捨ててんげり」が一種の定型句になったのか・・・。それにしても「ねじ切って」っていうのがリアルですね~~。

さて、今回使われた面は甫閑作の増女。銕仙会の女面は(私が見た限りでは)増もたおやかで艶麗な雰囲気のものが多いように感じられるのだけど、甫閑の増は目鼻のアウトラインが割とさっぱりしているというか、どこか素朴な、少年のような面差し。木曾育ちの巴は健康的なすっぴん美女だったんだろうな~と思わせるチョイス。後場の装束も、白地に朱と萌黄のつつじを織り込んだ唐織に、薄い朱の大口姿のすっきりした出で立ち。
シテの浅見真州は、型のひとつひとつが綺麗で、型の流れを追っていくうちに、いつのまにか役の人物の内面に引き込まれるようにして鑑賞してしまう。といっても熱演派ではなく、むしろ演じる役に対して一歩引いて見ているような知性があるような。
この曲は(というかこの舞台は)、やはり後場が見どころ、短い時間のなかでよくこれだけ詰め込んだなあ~と思うほど、最後の戦に臨む巴の健気さと哀しみが、起伏をもって生き生きと描かれる。シテの型の流れと銕之丞率いる地謡がよく調和して、特に「四方を・払ふ・八方・払ひ、一所に・当たる・木の葉・返し、嵐も・落つるや・花の・滝波」の拍の踏み方が、面白かった。ここで敵を二の松あたりまで、水の上をすべるような足取りで一気になぎ払って、「今はこれまでなりと、立ち帰りわが君を、見奉」った巴が目にしたものは、自害して果てた義仲の姿。一気に盛り上がって、ふっ、突き放されてしまったような虚しさ。このエアポケットに突き落とされてしまった感じがたまんない。愛する男から、最後の最後になって拒絶されてしまった(と感じた)ところに巴の哀しみがあるのかもしれない(義仲は拒絶したつもりじゃなかったんだろうけど)。
武装を解くために烏帽子、唐織を脱ぐ手つきは丁寧だけど頭の中は真っ白、というような。それでも太刀に一瞬目を落とし、いとしそうに胸に抱く姿が印象的でした。水衣には着替えず、唐織を脱ぎ塗笠をかぶっただけの姿は、木曾へ下向していくという設定上リアルだし、巴のどうしようもなく孤独な内面をも表しているようでよかった。


「梟」
山で梟の巣を壊した弟(則秀)が梟にとり憑かれてしまい、心配した兄(則重)は山伏(東次郎)に祈祷を依頼するが、かえって兄も山伏も梟に憑かれてしまう・・・という「茸」パターンのお話。
メジャーな曲で、今まで善竹家・和泉流の若手でも観ているけど、山本家が一番あっさりめで様式的な感じでした。個人的には善竹十郎演じる山伏の最後のひと鳴きが、皮肉で不気味な余韻が残って好きだけど。
山伏は梟の嫌いな「カラスの印」を結んで祈祷するものの、かえってパワーアップしたフクロウ憑きの兄弟に突き飛ばされてひっくりかえってしまう。東次郎は本当に一回転してひっくり返ったのだけど、すごい根性です。祈祷前は威張っていた山伏が、老いて羽も抜けたフクロウになってヨタヨタと飛んで(?)いくのが、ちょっとシニカルな感じです。
こういう舞台を見ると、狂言はやはり甲羅を経た名人がいい。若手の舞台がたいてい面白くないのは、演者があまりにも「素」というか日常の顔を見せてしまうからではないかと思う。狂言は面や装束といった、舞台と「日常」を隔てる障壁が少ない分、かえって難しい部分があるかもしれないなあ。


(長くなったので、続きはあらためて)