銕仙会 四月定期公演(2)

西行桜
たいていのお能は、ワキの登場→名乗りで始まることが多いけど、この曲は閑さん演じる西行の「いかに誰かある」という呼びかけから始まる。
この静かな声が能舞台に響いたとき、さっきまでの浅見真州や東次郎たちの舞台は西行の見た夢であったかのような、ほんとうは閑さんが橋掛かりに現れる前から、この舞台の上では西行の庵室のゆるやかな時間が流れていたような、なんともいえない「空間のゆらぎ」のようなものを感じた。第一声だけで、能舞台の上に西行の庵室が浮かび上がってきたかのようだった。

花見の宴も果てて、招かれざる花見客が桜の下でそのまま寝入ってしまった夜更け、花の陰から老桜の精(シテ)が現れる。紋を浮き織りにした紺色の絽の狩衣に 胡粉色の露紐を垂らし、青磁色の大口をはいて、ふわりと舞台に立ったシテは、端正な中にも妖しい色気さえ感じさせた。面は福来作の「皺尉」。胡粉色で彫りの深い顔立ちがシンプルかつ華やかな装束によく似合っていて、シテが動くにつれて、長い白髪が紺地の狩衣の背に滝のように流れ落ちて光るのに見とれてしまう。視覚的効果を計算しつくしたコーディネートだった。

場面としては桜の下で花見客が眠りこんでいて、西行だけが老桜の精と向き合っている・・・というのが、なんだかルソーの「ライオンとジプシー女」みたいな世界である(実際はシテの登場前に花見客(ワキツレ)は切戸口から退場しているのだけど)。いちおう、事前に古典文学全集で詞章を予習してきたのだけど、一夜漬けどころか浅漬けの予習は、シテが舞い始めると簡単に吹っ飛んでしまい、凝縮された型が次の型に流れていくのをボーッと観ておりました。特に「夢は覚めにけり」の直前の、扇の上に上体を伏せるようにして片袖で顔を覆う型が実に上品で美しかった。
夢から覚めて、花の陰から夜が明けていく・・・という詞章も洗練のきわみで、今年最後の夜桜を愉しませていただきました。