プチ金沢な休日

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今週は仕事がぽっかり空く(空けられる)日ができたので、一日お休みをいただきました。
 
ちょうど金沢のガラス作家さんから個展のお知らせをいただいていたので、
原宿のギャラリーに行き、その足で乃木坂のサントリー美術館を回ろうと即決。
 
フォーレにほど近い、キッチンをしつらえたような小ぶりなギャラリーは、
みかん色のあかりの下にストレートなフォルムのガラスの器やドローイングがさらっと展示されていて、
そのまま冷たいアイスオーレでも淹れてくつろぎたくなるような空間。
ドローイングは、インスピレーションが頭から逃げないうちに一気に描いたようなタッチで
ボーイッシュな雰囲気の作家さんそのままのようでした。
この作家さんの そばちょこで、葱や茗荷、大葉をたっぷり使ったお蕎麦を食べてみたいので、
今度金沢に行くときに、川のほとりのギャラリーにおじゃましたいと思っています。
 
 
サントリー美術館「能の雅・狂言の妙」はもうすぐ会期終了。どうにか後期展示に間に合いました。
2回目なのでさくっと観られるかと思いきや、ほとんどの展示品を入れ替えていたので
結局1時間半くらいかけてじっくり見入ってしまうことに。(前回の滞在時間は2時間・・・)
加賀前田家の装束も入れ替えてましたが、前期展示のほうが凝っていたように思いました。
 
こういうものを観るときは、ガラス越しに「見ているだけ」なのに、本当に展示品に触れているような
なまなましい触感を覚えてしまいます。
 
彩色も剥落し木地もボロボロな中にも、灼熱の炎を感じさせる、「真蛇」の額にかかる乱れ髪と血管。
演能を重ねているうちに裂けてきた生絹の舞衣を、何度も何度も直して大事に使ってきた跡。
鬘の形に沿って演者の汗がしたたったのであろう、逆三角形に黒ずんだ、豪奢な摺箔の襟元。
丸紋の刺繍を残して崩壊した装束から、丸紋だけ切り取って仕立て直した、紺繻子の縫箔。
 
面や装束をまとって舞台に立った人はもういないのに、その肉体の痕跡の、「不在」の存在感。
 
江戸期の丸紋の再利用を思いついた能楽師は、倒幕後の不遇の日々、お役を務めたのだろうか。
新しい縫箔が仕上がった日、「彼」は切ないような嬉しさを覚えたかもしれない。
 
・・・そんな妄想が浮かんでくるのは、やはり能楽師の肉体や想念を通してはじめて命を得るもの、
何百年にもわたって作り手や演者たちの思いや歴史を伝えてくるものだから、でしょうか。
 
 
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展示室を出た時間が結構遅かったので、併設の「不室屋カフェ」で軽めの晩ごはん。
「生麩と湯葉のあんかけ丼」は、夏バテで食欲減退気味の体にはちょうどいいボリューム。
ふだんだったら夜食にオニギリがほしくなったかもしれませんが、優しいお味のごはんでした。
前回、加賀棒茶のお茶請けに出てきたラスク風の「おやつ麩」が美味しかったので、お土産に購入。
 
そんなわけで
金沢のガラス、
加賀前田家の能装束、
加賀麩の晩ごはん、
・・・と、金沢尽くしで お皿に水を得た河童の気分です♪