やまねこの夏休み-②高岡・伏木地区Ⅰ

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雨晴から氷見線で折り返し、「伏木」で下車。
昼下がりの港町は眠ったように静かで、観光スポット(?)以外では人の姿をほとんど見かけず、
明るい日差しの下、私のサンダルの音だけがひたひたと響きます。まるでキリコの絵のように。
凪の時間だから、町の人たちはみんな家の中で眠っていたのでしょうか。
 
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旧棚田家住宅(高岡市有形文化財)。
観光案内では「外観のみ見学可」とあったのに、表札の横には「内部見学の際は事前にご予約ください(電話番号)」とあるではないですか~!母屋の住宅部分が気になるなあ・・・。
 
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伏木気象資料館(旧伏木測侯所)
明治16年に、廻船問屋・藤井能三によって設立された、国内初の私立測侯所です。
県営・国営への移管を経た後も、10年前までは職員が常駐して気象観測を行っていたそうで、
無人化された現在も、130年以上にわたって、現役で!気象観測を続けています。
写真の白い塔の裏に、現在使用されている計測器が設置されているのですが、一見なんの変哲もない鉄棒が「通信衛星ひまわりと交信する機器」「空気の清浄度を測る機器」「雪の深さを測る機器」と教えられても実感できませんでした。宮沢賢治の童話に出てくるような、ほとんど象徴的なまでにシンプルな機器類に驚いて、資料館のおじさんを質問攻めにしてしまいました(^◇^;)
でも、本当にグスコーブドリが働いてそうな観測所だと思いません?
 
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勝興寺(重要文化財
観測所の坂を上りきった先にある、伏木の名刹、いや巨刹といった方がふさわしいお寺です。
文明三年(1471)、蓮如上人が越中の布教の拠点として砺波に開山。蓮如の子孫が代々住職を勤め、戦国時代には一向一揆の旗頭として活躍したのち、現在の場所に移転しました。藩政期には加賀前田家と関係を深め、越中における浄土真宗の筆頭として繁栄します。本堂は勝興寺住職から還俗した第11代藩主の支援を受けて建立されたもの・・・という来歴からも、当時の浄土真宗寺院が北陸の複雑な政治情勢の中で権勢を振るったことがうかがわれます。
また、境内は越中国府の所在地でもあり、地下には遺構があるともいわれているそうです。
 
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本堂の廊下。
カーブした梁に彫刻を施し、横に渡しています。金沢の「やちや酒造」の蔵を見学したとき、湾曲した木材を梁に使うことで積雪の負荷を支えられるようにしてある、と社長さんからお聞きしたことがありますが、ここの梁もそうなのでしょうか?
本堂だけでも相当な広さで、この廊下の柱の列や、その向こうの樹々の緑を見ているだけで心がゆったりとしてきます。ああ、ここでお昼寝したかった!
 
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鼓堂。
現在このお寺は平成の大修理として、大広間、奥書院など11棟の解体修理が進められており、広大な敷地のほとんどが工事中のカバーで覆われています。完工予定が平成30年って、どんだけ大規模な修理なんだろう!
建築の修理といっても、文化財建造物ともなれば「劇的ビフォーアフター」というわけにもいかないよね(笑)。こないだ買った「修復の手帖」によると、文献や残された木材などをもとに建立当時の工法や材料を調査し、必要であればもとの姿に復元し、当時の木材を使って後世に伝えることもあるのだそうです(勝興寺のHPでも修理の様子が紹介されています)。緻密で、根気のいるプロジェクトといえるでしょう。延べ20年がかりの大修理ともなれば、相当数の専門家や職人を必要とするだろうし、その中で新たな発見もあるだろうなあ。いいなあ。見たいなあ!
 
(続きます)