やまねこの夏休み-③伏木地区Ⅱ-

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勝興寺を出てすこし歩くと、そこらの住居表示が「伏木古国府」となっているのに目がいきます。
私が住民なら友達に「古国府に住んでま~す♪」と自慢しちゃいそうな住所である(笑)
 
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国府の住宅街。
勝興寺から坂道をとことこ下っていくと、格子やキムシコを用いた民家が細い坂道に沿ってひっそりと並んでいます。
それにしても、物音といったら蝉の声くらいしか聞こえてこない静けさ。駅の向こうには港や製紙工場もあるし、勝興寺だって大掛かりな修理中だから、平日はそれなりの生活音があるのだろうけど、住宅密集地なのに人の姿をまるで見なかったのも、なにやら白昼夢のような感じ。
 
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伏木北前船資料館(旧秋元家・高岡市指定文化財
伏木は北前船の寄港地として栄えた港町で、18世紀には有力な廻船問屋が台頭してきました。
この建物は明治20年代以降に建てられたもので、土蔵は江戸時代後期のものだそう。
 
実は、ここに向かう通りに立派なお宅があったのですが、その家の表札を見た やまねこ、
昔好きだった作家と一字違いのお名前なのに気がついてドキドキ。資料館で
 
「あの~すぐそこの堀田さんてお宅、もしかして堀田善衛さんのご実家ですか?」
「いえいえ、あそこは分家です。堀田善衛さんのお家は鶴屋さんといって、ここらで一二を争う大きな廻船問屋でしてねえ、街なかに住んでらしたんですが今はなくなってしまって。この秋元家は中堅どころだけど、鶴屋さんはずっと大きな船問屋だったんですよ~~」
 
おぉ、やはりそうであったか~~。
堀田善衛といえば、学生時代、ムソルグスキーの「展覧会の絵」にヒントを得て書かれた長編「海鳴りの底から」とか、理知的な作風に背伸びして挑戦した思い出が・・・(←遠い目)
慶應の仏文科卒業、ベ平連の発起人になって脱走米兵をかくまったり、晩年はスペインに移住して「ゴヤ」を書き上げたり、なるほどお坊ちゃまならではの経歴でありますなあ。
 
それにしても、ここで昔なつかしの名前に再会するとは。。。
 
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さて旧秋元家。
正面入口の屋根は、別の素材で葺いてあったようです。モシヤアナタハ石置き屋根?
 
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中庭から見た蔵。向かって右側が調度蔵、左側が衣装蔵。
二つの蔵の上には、港の船の出入りを見張る望楼が設けています。
この旧秋元家は小高い丘の中腹にあり、近隣には小さな望楼を設けた民家も目にしましたが、
資料館の人によると、このあたりは一般の民家でも望楼をつける家が何軒かあったそうです。
 
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望楼に上がる階段・・・というか、ほとんど梯子状態の急勾配!
上りはいいんですよ~~問題は下り!
この日やまねこはクロップドパンツを穿いていたのだけど(←ふだんはスカート派)、人ひとりがようやく通れる程度の幅の狭さに加えて、階段の間隔がとても大きく、下りでは手すりをつかむ手が震えてしまったほど。
土蔵の二階に上がる階段も急だし、ここにお越しの際はスカートはやめといた方がヨイです!
 
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望楼から眺めた伏木の街。
海からの涼しい風が吹き込んできます。つかのまの休息。
さっきの土蔵の写真では、望楼の横に袋状にまあるく張り出しているのが見えますが、
望楼内部は正方形の小部屋でした。あの「袋」はなんだったんだろう?
 
帰りの氷見線には間があったので、折りよく通った高岡駅へ向かうバスに乗りこみました。
ここでもやはり誰も乗ってなくて、途中でおじいさんが一人乗りこんだだけ。
やはりクルマ社会なんだなあ~と実感しました。(←やまねこはペーパードライバーなのです)