村野藤吾「加能合同銀行本店」(現北國銀行武蔵ケ辻支店)

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金沢駅からバスに乗ってしばらく行くと、武蔵が辻の交差点にモダンな西洋建築が見えてきます。
現在、北國銀行武蔵ケ辻支店として使われているこの建物、近江町市場の再開発にともなってキレイになりすぎた観がありますが、もともとは近代日本を代表する建築家・村野藤吾(1891~1984)のデビュー作「加能合同銀行本店」(1931年竣工)。
村野藤吾の作品は、関東では「高島屋東京店(増築部分)」「箱根プリンスホテル」「よみうりホール」あたりが挙げられますが、初期~中期の作品のほとんどは空襲や老朽化で現存していませんから、貴重な建築です。
 
戦前の銀行建築というと、普通、ギリシア建築を模した重厚なものが多いですが、シンプルで抽象的な村野のデザインはモダニズムの息吹を感じさせます。ファサードの大きな舟形のアーチ(「トッペアーチ」と呼ばれています)は、日本海を渡る北前船をイメージしたものだという説があります。
加能合同銀行の前身・米谷銀行の創業者・米谷半平氏が歴代廻船問屋を営む家の出身であり、また村野自身の生家も唐津の廻船問屋であったことからきたのでしょうか。
当時の廻船問屋というのは、その規模にもよりますが、一回の航海で5億とも10億ともいわれる莫大な利益を生み出したのだそうで、その豊かさは一体どれほどのものであったのか。これまた伏木の廻船問屋に生まれた堀田善衛は「幼少の頃より文人能楽師が出入りしている環境に育ったので、上京したら、東京の文化のあまりの薄っぺらさにがっかりした」と書いています。おそらく、米谷頭取は新進気鋭の建築家の中に理屈抜きで通じ合えるものを感じ、自分の理想を託したのではないでしょうか。まあ、「やってみなはれ」「見とくんなはれ」というやり取りがあったかどうかまでは知りませんが・・・。
 
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北國銀行武蔵が辻支店は、現在3階部分を「金沢アート・グミ」の拠点として公開しており見学可能です。
写真は3階へ続く螺旋階段。
近江町市場の喧騒に面した1階のキャッシュコーナーの横の扉の向こうに、こんな静謐で端正な空間があるなんて、ちょっと想像しづらいのではないでしょうか。
 
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階段を上ると、アート・グミの受付に。金沢市民のアート活動の拠点になっています。
 
 
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で、窓辺に寄るとこんな意匠がさりげなくほどこされていたりします。
 
 
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展示会場内部。
ただし、今回私が訪れたときは会場を暗くしたインスタレーション(?)の展示中だったので、会場内部の写真は
2010年夏に撮影(許可済み)したものです。3階はもともとホールとして使われていたようです。奥に金庫と暖炉が見えますね。
 
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暖炉。直線の美しさを生かした、幾何学的なデザインです。
 
近江町市場再開発の際に、この建物は取り壊しも検討されたようですが、結局、土台を数メートル横に移動させて残すことにしたと聞いています。やまねこが2002年に金沢を訪れたときには、外観ももっと地味というかくすんだ色合いだったような記憶があるので、竣工当時からはかなり変わっているかもしれません(まあ、よみうりホールほどではないだろうけど)。
アート・グミ受付の人の話によると、建物の写真撮影目当てに来る人もいるそうなので、日本のモダニズム建築にご興味のある方は、近江町市場で海鮮丼食べたついでに立ち寄られてはいかがでしょうか。