やまねこの夏休み-④高岡・山町筋&金屋町-

イメージ 7
 
伏木から高岡駅行きのバスに乗り、約20分ほどで土蔵造りの町並みが残る山町筋に出ます。
この日はフェーン現象でとんでもなく暑い日で、この写真を撮る頃は炎天下の犬状態(^_^;A 「山町茶屋」という唯一の(?)休憩所で水分&糖分をしっかり補給。
 
イメージ 1
 
この山町筋の町家の特徴は土蔵造りになっていることで、写真のように隣家との境がレンガ造りの防火壁になっています。外壁は白か黒の漆喰を厚く塗りこめ、二階の窓は観音開きの土扉をつけた耐火建築です。
私の実家も、長岡の街を焼き尽くした空襲にも焼け残り、中越地震にも持ちこたえた土蔵を現役で物置として(笑)使用していまして、土蔵の耐火性・耐震性の強さは身近なこととして実感しています。
 
山町筋の町家については、閉館まぎわに飛び込んだ高岡市土蔵造りのまち資料館(高岡市指定文化財)」のオバチャンが、店じまい前にもかかわらず厭な顔ひとつせず懇切丁寧に説明してくれたので、以下再現。
 
「ここらの建物は100年くらいに建てられたものばかりです。昔はカマドを使っていたし煙突も短かったから、ちょっと掃除を怠けるとすぐススがたまって何度も火事を起こしてね、それで町の決まりでみんな土蔵造りにすることになったの。わたしがお嫁に来たときもまだカマドでごはん炊いてましたからねえ。富山市は空襲ですっかり焼けてしまったけど、高岡は焼けなかったからこういう家がまだたくさん残っていて、昔の建物が好きな方がよくおみえになりますよ」
 
このオバチャン、全国の花火大会を団体バスで観に出かけるのが好きなんだそうで、私が長岡出身と知ったら、花火大会の話ですっかり話し込んでしまいました。
伏木もそうだったけど、高岡のオジサンオバチャンはフレンドリーというか話好きな人が多くて、道を訊いたオジサンもわかりやすいところまで一緒についてきてくれて、おおらかな土地柄といった印象です。金沢の人も親切だけど、これが武家屋敷とか東茶屋街だったら、ほとんどありえないシチュエーションだ。。。まあ、観光客の数自体ぜんぜん違うケド、それ以前に気質の問題ではないかという気がします。
 
イメージ 3
 
先に建てた土蔵造りの家に、後から洋風の外壁をつけた商店。このあたりは、2階の土蔵造りをキープしたまま、1階部分や外壁を改装した家や商店が目につきます。
 
イメージ 4
 
左官さんの張り切りぶりがうかがわれる店構え。ちょっとキッチュな和洋折衷加減が面白い。
 
イメージ 5
 
二階のブルーグレイの外壁と、鮮やかなグリーンの土扉のコントラストが目を引きます
この家が建った当時は派手なカラーリングで目立っただろうなあ。
 
イメージ 6
 
土扉の内側は・・・なんと真紅のカーテン!ら、乱歩ですか?!
窓枠が中華風なのも・・・う~ん、「日本一ケバイ蔵」こと長岡のサフラン酒造と同じニオイが。。。
 
イメージ 8
 
も~暑くてフラフラになりつつ、それでも山町筋を抜けて金屋町へ向かいます。
その名の通り、ここは銅器の鋳造職人の町。高岡は銅器の町としても知られますが、はたして金屋町に近づくにつれて「金屋」「金森」といった姓を戴いた看板が目に入ってきます。
写真は鋳造に使われたキューポラとレンガ造りの煙突。夕暮れの逆光で、なんか旧ソ連の精錬所跡といわれても違和感ないような仕上がりに・・・(^◇^;)
 
イメージ 2
 
金屋町の街並み。重々しい感じの山町筋を見た後なだけに、木造家屋はほっとしますね。
せっかくの町家の軒先に軽が無造作に突っ込むように停めてあるのが残念ですが、ここは武家屋敷と違っていまも高岡の伝統産業を担う現役の職人街なのです。金沢市民ならきっと景観保護とか言って駐禁にして、格子に朝顔の蔓でも這わせちゃうかもしれんなあ。。。高岡の町家はそういう意味じゃ漢(おとこ)っぽいかも。
ただ、キレイに作りこんでない分、町家が生活と密着している現役感というか住人のキャラも感じられる建物が多くて(←現役で使っていたら、まあそうでしょう)、見ていて楽しかったです。
 
イメージ 9
 
今迄で写真数最多の記事になったけど、これでも厳選したつもりなので、どうか無事アップできますように!