代々木果迢会五月例会

能「歌占」
 シテ  浅見 真州
 子方  武田 幸志
 ツレ  武田 友志
 笛   一噌 隆之
 小鼓  大倉 源次郎
 大鼓  亀井 忠雄
 
狂言「呂蓮」
 シテ  野村 万作
 アド   深田 博治
      高野 和憲
 
(5月27日(金) 代々木能舞台
 
 
毎回ほぼ満席の果迢会ですが、特に浅見真州がシテをつとめる月は開場早々に前正面席が埋まってしまうので、今回は気合を入れて早退してきましたよ!その甲斐あって、みごと源次郎とお見合い席~をゲット♪(←ばか(^◇^;A)
代々木果迢会の魅力は芸のレベルの高さもさることながら、なんといっても そこだけ時間の流れが違うような舞台空間で、やまねこは都内の能舞台ではここが一番好きです。この日は小雨の降る初夏にしては肌寒いお天気でしたが、飴色に沈む舞台の向こうに絹糸のような雨が降っているのをただ眺めているだけで、心が静かに浄められていくひとときを楽しみました。
 
 
「歌占」
シテ(伊勢の国の神職・渡会某)は、8年前に三日間臨死状態に陥り、甦生したのちに社も妻子も捨てて放浪し、加賀国白山で歌占で生計を立てている。そこへ成長した息子が父を探しに訪れ、歌占のやりとりから親子であることがわかって再会を果たす。男は地獄めぐりの舞を舞った後、息子と連れだって帰郷の途につく。
 
世阿弥の長男・元雅の作。37歳の若さで客死した元雅が、「歌占」「隅田川」「弱法師」といった生死(しょじ)をテーマにした曲を手がけていたのは興味深い。特に「歌占」は当時の死生観や教養が盛り込まれていて難解な内容で、現代に生きる私がこれを理解するにはどれだけの知識と教養がいるのだろう(←というか無理)。
 
浅見真州は決して大音声ではないものの、しっかりとよく通る謡で、思っていた以上に詞章の内容がすんなりと耳におさまっていく。渡会某は当時の適齢期から推して三十代か、せいぜい四十そこそこではないかと思うのだけど、古稀の浅見真州が直面で演じても何の違和感もないどころか、むしろその若々しさに驚かされる。非常に強靭な身体の持ち主なのだろう。前半は占いの場面だから大きな動きはないのに、型のひとつひとつ、装束や弓の扱いが洗練されていて見とれてしまう。
子方とツレは親子なのかコピーかと思うくらいそっくり。そういえば、歌占って珍しくワキが出ない曲なんですね~。ツレがワキに相当するのではないかと思ったけど、観世以外でもワキは出ないのかしらん?
後半の地獄めぐりの舞は、やっぱり真州ワールドというか、浅見真州の舞から地謡が引き出されていたような感じ。地謡を「受けて」舞う、というタイプのシテじゃないと思う。男舞だけあって見どころも多く、名人の舞のスピードが徐々に変化していく様子を2メートルと離れていない場所で凝視できるなんて、なんという幸せ。
少なくとも向こう数年は できる限り浅見真州を追うことにしよう。
・・・と心に決めたところで、源次郎とのお見合いをすっかり忘れていたのを思い出したトホホな やまねこでした。。。
 
「呂蓮」
先日の銕仙会でも取り上げたばかりの曲だけど、歌占の後に呂蓮って…今回の果迢会のテーマは「プチ家出(?)」なんでしょーか?!
万作は、苦労してきて世知にも通じた老人の役がハマリますね~。万作が大マジメに語れば語るほど、見所は大ウケでした。一歩間違えば下世話な話になってしまう曲だけど、歌占の空気を壊さずうまく引き継いで、庶民サイドからの「出家願望」を描いたのはさすがです。
 
覚悟もないのに出家の夢を語る宿の主は、現代でいうなら脱サラ&シングルアゲインしたいサラリーマンみたいなもんでしょうか。勝手に責任放棄したバチがあたって、「歌占」では臨死状態で地獄めぐりをして髪が真っ白になり、「呂蓮」ではそのスキンヘッドなんとかしてよ!と鬼(嫁)にやっつけられる。もし室町時代にこの2曲のカップリングで演能したら、見所は大爆笑だったんだろうな~。
 
そんなわけで、コンパクトながらぎゅ~っと実の詰まった舞台でした。
ごちそうさま~☆☆☆