喜多流 素謡・仕舞の会

仕舞
 花月 クセ」  粟谷 充雄
 「道明寺」    長島 茂
 
素謡「経政」
 シテ  佐藤 章雄
 ワキ  金子 敬一郎
 
仕舞
 大江山 内田 安信
 雲林院 粟谷 辰三
 
素謡「夕顔」
 シテ   香川 清嗣
 ワキ   友枝 雄人
 ワキツレ 佐々木 多門
 
 
(※8月23日(火) 十四世喜多六平太記念能楽堂
 
 
今年も行ってまいりました。
平日の夕方6時からの開演にもかかわらず、見所はほぼ八分の入りで、学生らしい若者もチラホラ。
今月は、宝生、喜多、観世と続けて足を運んだためか、それぞれの謡の違いが楽しめました。
喜多は五流のなかで(たぶん)一番滑舌がハッキリしていて、聴き取りやすい。
「夕顔」の謡本を持ってくるのを忘れてしまい、無本で聴いたのですが、鑑賞上の問題はほとんどナシ※
骨格がまっすぐですっきりとしたスタイルの喜多流は、素謡の形態がすごく合うと思います♪
 
(※お稽古していない私が聴き取れたのは、曲の内容をおおむね知っていたこと、ふだんから文庫本で古文や和歌のパターンに馴染んでいたためだと思いますが、これが宝生流金春流みたいに独特のスタイルの謡だったら、こうはいかなかったかも。。。)
 
今年の素謡「経政」「夕顔」は、いずれも仄かな灯火と闇の描写が印象的な曲。たまたまそういう選曲になったのでしょうか?
 
「経政」は、亡霊が闇の中から静かに現れてくるときの衣擦れの気配、灯火に照らし出されて鈍く反射する綾織の装束、灯火を吹き消すとともに亡霊がかき消えたあとの余韻が、謡の簡潔な詞章にぎゅっ!と凝縮されていて、緊張感がありました。能のスタイルではまだ観ていない曲なのですが、近いうちに能でも観てみたいな~。
 
そして「夕顔」。
 
喜多流の素謡は、シテがベテラン(または重鎮)、ワキは若手がつとめるパターンらしい。ただ、このワキの謡はひたすら声を張り上げるだけの一本調子で、曲趣に合っていないし、静かで渋めのシテとワキツレとのバランスもイマイチ。。。(←何様?!)
塩津さんもそうなんだけど、香川清嗣はどちらかというと声量はそれほど大きくなく、抑制のきいた謡の持ち主なのだけど、いい謡とは豊かな声量とか美声と必ずしもイコールではないことを実感した一番。
この「夕顔」は、薄幸の佳人の儚さや美しさというよりは、夏の夜特有の、ねっとりと絡みつくような闇の濃さ、その奥で息をひそめて恋人たちの睦言を窺っているものの気配こそが主役のような。静かに迫ってくるような不気味さがありました。6月の武田同門会の小早川さんのシテ舞台で観た「夕顔」は、今にも闇に吸い込まれていきそうな、儚くうら若い夕顔の優美さが印象に残っているけど、う~ん、こうも曲のイメージが違うのか。。。50そこそこの中堅処とは解釈が違うのも当然なんだろうけど。
実は今まで観た(聴いた)中で一番怖い舞台でしたが、キリでさ迷える魂が浄化されて東雲とともに空高く昇っていくくだりも、謡のトーンを少しずつ上げていく匙加減が絶妙で、ほんとに闇が光に裂かれていく様子が見えるようでした。
 
仕舞はもともと好きですが、素謡もいいですね~。
観世会でもやっているそうなので、来年は松涛にも行ってみよう・・・。