畠山記念館秋季展「茶人 畠山即翁の美の世界」

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昨日、畠山記念館秋季展の初日に行ってきました。
白金台の古い住宅街をとことこ歩いていくと、いきなり城郭を思わせる石垣を積んだ白塀が姿を現し、驚かされます。もともとこの土地は、江戸時代に島津氏の別邸があった場所だとのこと。
 
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細い石畳の小道を歩いていくと、突然視界が開かれ木立の間から本館の建物が見えてきます。う~ん、いいアプローチ♪
 
畠山記念館は、荏原製作所の創業者・畠山一清(即翁)のコレクションを収蔵した美術館です。
その名が示すように、能登守護大名・畠山氏の血を引くといわれる即翁は、昭和初期の頃から地縁を生かし、古九谷など、加賀にゆかりのある美術品を蒐集し始めます。もともと茶の湯能楽の盛んな金沢で生まれ育ったこともあり、そのコレクションは茶の湯能楽関連のものが多いのだそう。
今回は、前期と後期に分けて茶の湯の名品&能装束数点を展示しています。
 
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今季の目玉「伊賀花入・銘からたち」。
桃山時代伊賀焼の傑作であるこの花入れは、写真でイメージしていたより大きくて(高さ30cmくらい)、濡れた土の中からそのまま掘り出してきたような風情と繊細さがあいまった陶磁器でした。
学芸員さんの説明&解説プレートで知った、即翁が「からたち」を買い取ったときのエピソードが興味深い内容。昭和初期までの「からたち」の来歴は不明で、金沢の素封家が秘蔵していたそうです。金沢では骨董、特に陶磁器を大切にする土地柄で、所有者は経済的によほど逼迫しない限りは手放さなかったらしい。昭和9年(だったかな?)に即翁が「からたち」を買い取り、加賀の外に出ると決まった時には反対運動が起きたとのこと。結局、畠山さんは金沢の人だから…という落としどころがついたのですが、いよいよ「からたち」が金沢を出る時は、金沢駅まで何十人もの人たちが「お見送り」に来たそうで、それを知った即翁は紋付き袴の正装で東京駅まで「お迎え」に出たそうです。
去年の国立能楽堂コレクション展の前田家伝来の装束を観ていても感じたことだけど、時代の変転の中で、地方の文化の粋が都会に吸い上げられていく悲しさ・無念さを象徴するエピソードですね。国や心ある蒐集家の手に渡り、管理・公開されている方がよかったかもしれないケースもあるとは思いますが。
 
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「赤楽茶碗 銘早船」(楽長次郎作 桃山時代
いわゆる利休七種茶碗の一つで、利休が茶会を催したとき、早船でこの茶碗を運ばせたことから「早船」の名がついたといわれています。
長次郎の茶碗は、2008年に東博の「対決・日本美術の巨匠展」で、光悦茶碗と並べて展示してましたが、個性の強烈な光悦に対して、長次郎の方がすっきりして手に吸いつきそうな感じがしたのを覚えています。この早船も底部のやや直線的なカーブが端正な雰囲気を出しています。
この茶碗の来歴が本当にすごくて、細川三斎、古田織部もこの茶碗を所望したのですが結局、蒲生氏郷に譲られ、その後何人か所有者を経て前田家重臣の本多家、金沢の有名な茶人(名前忘れちゃった…)に渡ってきたというものです。
利休はツムジを曲げたらしい細川三斎に気をつかって、織部になんとかフォローしてあげてね~と書状を送ったりしています。
 
展示スペース自体が小ぶりなこともあって、出展数は決して多くないものの、他の展示品も充実した内容でした。尾形乾山の色絵替わり土器皿とか、前田家伝来の能装束や狩野探幽の白鳥図などなど。
学芸員さんの説明がわかりやすく、展示品の来歴や銘の意味、交友関係を聞いていると、茶の湯にしろ能楽にしろ、ひとたび入り込むと芋蔓式にハマリこむ性質を持つジャンルは、その性質ゆえに人脈形成→権力構造の場そのものでもあるのだな~と実感させられます。茶の湯(茶会を主催できるレベル)に比べたらゴルフなんて庶民のお遊びみたいなものなのね。
そういえば、即翁もやはり宝生流の謡をたしなんでいて70代で免許皆伝を取っており、「安宅」のシテ舞台写真もパネルで展示されていました。松本長のパトロンでもあったそうです。まあ、「加賀の文化」はひと通りおさえておられたのですね。それこそが畠山一清が、財閥系でもないが、一代で財を成した系の実業家茶人とも一線を画したいポイントだったのでしょうけど。
 
財閥系美術館に比べれば規模は小さいものの、その分じっくり鑑賞できる貴重な美術館です。白金台エリアの入り組んだ道に迷うのも(時間が許せば)一興。
光悦を出す後期も足を運んでみたいと思います。