「春日の風景」(根津美術館)

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今週末に銕仙会で「春日龍神」を観るので、根津美術館へ「春日の風景」を観に行ってきました。そういや根津は銕仙会能楽研修所から目と鼻の先のご近所です。
開館70周年を記念して、根津をはじめ、東博奈良国立博物館、湯木美術館、能満院、奈良県南市町自治会所蔵の「春日宮曼荼羅」27点が一堂に会するというこの企画展、会期が一か月間と短かったのですが、ぎりぎりセーフで鑑賞できました。
 
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重要文化財「春日宮曼荼羅」(鎌倉時代 13世紀 根津美術館所蔵)
曼荼羅」というと、密教のモチーフを規則的に配置した構図を連想しますが、「春日宮曼荼羅」は縦長の画面に春日宮の風景をただ描いただけのように見えますが、仏教の教義を仏の構成で表す曼荼羅を本来の意味とし、それを広義にとらえると春日信仰の姿を現した春日宮曼荼羅曼荼羅と同じなのだそうです。
12世紀後半になると、信仰画として「春日宮曼荼羅」が描かれるようになり、京の藤原家では画を礼拝することで、春日宮への参拝代わりにしたそうです。
上の写真は初期の曼荼羅ですが、御蓋山のふもとの春日大社を描いただけのシンプルな構図。時代が下るにつれて、社殿や興福寺が描き加えられていき、次第に細密になっていく変遷がたどっていけます。
 
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重要文化財「春日宮曼荼羅」(鎌倉時代 13世紀 南市町自治会所蔵)
27点の曼荼羅の中で、一番サイズとインパクトの大きかったものがこれ。
参道が金で描かれ、参詣する人々の姿も描きこまれた曼荼羅は縦2m近い大判。
地方の一自治会がこんな曼荼羅を所蔵しているのもすごいですが、私が次にこれを観られる機会があるかどうか・・・。
他にも春日大社を水源とする流れが興福寺に下り、猿沢池に注ぎ込む構図で水神信仰をテーマにした曼荼羅もあって・・・とくると、能「采女」を連想しますね。
 
曼荼羅図の展示コーナーの中央には、鎌倉時代春日大社で使われていたという「瑠璃燈篭」も展示されていました。ビーズ状の瑠璃(青ガラス)を連ねて側面に張りめぐらせた漆塗りの燈篭は、内側から発光するようライティングされています。
昔訪れた、夕暮れ時の春日大社の回廊の記憶に、無数の瑠璃燈篭が青い光をたたえて揺らめいている光景を想像しただけで・・・神経がさわさわと鳴り出すような気がします。
 
他に印象が強かったのは春日権現絵巻」(鎌倉時代 宮内庁三の丸尚蔵館)。
最近修復が終わったばかりで顔料が鮮やかですが、描かれた当時は古色蒼然としていないですからね~。神鏡を奪還するための血で血を洗う争いや、夢のお告げを得て子孫繁栄のために庭に竹を植える話が、いかにも中世の空気を伝えてきます。
 
そして春日とくれば、やっぱり鹿さんですが、春日のモチーフとして鹿が取り上げられるようになったのは室町時代以降からだそうです。へ~鹿さん登場は意外と最近(???)なんですね。
伊勢物語絵巻 上巻」(室町時代)では、初冠(元服)した男が春日に鷹狩りに行った折に、当地の美しい姉妹を垣間見る「第一段」の中に、鹿が描かれています。
わらに江戸時代に角倉素庵が出版した嵯峨本「伊勢物語絵巻」に描かれた鹿は、「春日=鹿」のイメージを普及させたのだそう。
神々のおわします神聖な地・春日は、鹿が戯れる美しくのどかな野でもあるという両義的なイメージを持つようになっていきます。
 
「春日龍神」は、唐に渡ろうとする明恵上人を「わざわざ遠くまで行かなくても、仏の功徳ならここでも観れるよ」と春日明神が引き止めるお話ですが、命がけで唐に渡らなくても、釈迦の誕生、霊鷲山での説法、入滅の様を次々と眼前に再現して見せてくれるなんて、なんて太っ腹、じゃなかった懐の広い神様なんでしょう。
点数は決して多くないものの、そんな春日の聖地の持つおおらかな魅力が伝わってくるような展示でした。