「世阿弥を読む」

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 先日、青山で「響の会」主催の世阿弥を読む」講座の第一回目に出席したあと、
前の会社の同期会に駆け込み参加。ちなみに講座の終了時刻は21時5分前!
翌週末に異動を控えた激務の合間を縫って、自分でもようやるな~と思うけど、こういうときって自分の容量限界を拡げられるんですよね(後でドッとくるけど。。)。
 
 この講読会、岩波文庫の「風姿花伝」をテクストに、文字通りひたすら読んでいく会で、第一回目は「年来稽古条々」(年代に応じた稽古のあり方と、役者自身の修行法・心構え)と「物学(ものまね)条々」 (各役に扮する演技の方法)の途中まで。
 世阿弥の凄さは、能楽という芸能を芸術のレベルにまで高めたことだけではなく、読み書きのできない芸能者が圧倒的に多かった時代に、言葉で表現しにくい芸というものを理論化し文章化していく能力を持っていたこと。やまねこは2009年11月に、東大駒場キャンパスで展示された「観世家のアーカイブ」に行った際、「難波梅」「松浦之能」「アコヤノ松之能」「布留之能」の能本(上演台本)がカタカナ表記されていて、濁音表記や促音表記は、日本語の表記史上の先駆でもあるという解説に衝撃を受けたのを憶えています。
 
 当時、周囲の能楽師たちの教養レベルを考えたら、自分の書き残したものが同時代の人たちには広く読まれないだろうということを、世阿弥はわかっていたはず。
それでも、芸を具体的に伝えていくためのツールを探り、駆使していた。
 そして「年来稽古条々」では、稽古を能楽師の生涯スパンで俯瞰的にとらえており、現在時点の芸を通過地点として、年齢によるステップごとの「目標イメージ」を理論的に説いている。人材教育の研修がさかんな現代の企業でも、そこまで先を見ながら人を育成するなんて現実にはなかなかできていないのに。やはり天才というのは類まれなる視点と努力の持ち主だということなのでしょうか。
 
 この「年来稽古条々」で各ステップとして説かれている年齢は、平均寿命が延びた現代では必ずしもそのままとは言えないのだけど、個人的には『三十四、五』の項は、そのまま仕事に置き換えられるくらいシビアな内容だと思いました。
 
この此の能、盛りの極めなり。ここにて、この条々を極め覚りて、勘能になれば、定めて、天下に許され、名望を得つべし。もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ為手(シテ)と知るべし。もし極めずば、四十より能は下るべし。それ、のちの證拠なるべし。さるほどに、上がるは三十四五までの此、下るは四十以来なり。返へすがへす、この此、天下の許されを得ずば、能を極めたりと(は)思ふべからず。
 
 三十代半ばって、会社でいえば「出世キャリア」と「残念キャリア」の二極化がはっきりする年齢ですよね・・・。まあ、実際には三十過ぎたあたりから差がつき始めるのだけど。転職市場でよくいわれる「35歳限界説」も、人件費だけの問題ではなく、ポテンシャルの伸びしろもこの辺の年齢で定まっちゃうからだと思う。
 この講座の後、前の会社(一部上場の某メーカー)の同期会に参加して、一年ぶりに再会したかつての仲間たちの昇進、異動のニュースを聞いて「う~~ん・・・」と思ったのでした。やまねこは、大丈夫か?!
 ところで、驚いたのは彼らのほとんどが「ほぼノンアルコール」だったこと!中国出張で宴会責めにあっているという技術部門の同期がホッピー飲んでいたくらいで、営業・本社部門の男子は二次会で「オレたちチキンだから~」などとのたまいながら、コーラ飲んでましたよ。。。いまどき女子会の方がよっぽど飲んでるよ!!!
 この話を聞いたウチの父は「なんか胸が悪くなりそうな飲み会だな~俺の方がよっぽど飲むぞ」とコメント。団塊の世代との違いはこのへんにもあるのか?と思ったのですが、いやいや、伝書にもあるじゃないですか。
 
「好色・博奕・大酒、三重戒、これ古人の掟なり。」
 
 大酒以外の戒律はどうか知らないけどね~(笑)。
やまねこは、楽しく大酒飲んでもちゃんと自己管理ができるタイプが一番好きです。