銕仙会 七月定期公演
能「浮舟 彩色」
シテ 山本順之
ワキ 工藤和哉
アイ 高澤祐介
笛 藤田朝太郎
小鼓 田邊恭資
大鼓 安福建雄
地頭 浅見真州
後見 野村四郎、鵜澤光
シテ(大名) 三宅右近
アド(太郎冠者) 三宅右矩
小アド(蚊の精) 三宅近成
能「天鼓 弄鼓之舞」
シテ 小早川修
ワキ 福王和幸
アイ 前田晃一
笛 藤田貴寛
小鼓 古賀裕己
大鼓 亀井実
太鼓 小寺真佐人
地頭 浅見文義
後見 観世銕之丞、浅見慈一
(※7月13日(金) 宝生能楽堂)
去年あたりから、観能記事をサボり気味な やまねこ。。
さすがにそろそろ再起動しなくちゃ~と思うこの頃です。
「浮舟」
さて、今回は(やまねこにとっては)久しぶりの山本順之のシテ舞台♪
・・・だったのですが、ここ三週間ほどの激務明けで おしらべを耳にしたとたん、
意識の糸がぶちっと切れて、気がついたときにはシテが中入りするところ(涙)。
5年近くお能を観てきて、ワキの名乗り前に熟睡しちゃうなんて初めてですよ。。
後シテは練色のような摺箔に朱色の大口姿で、面は伝河内作の増髪(早稲田大学演劇博物館所蔵)。やや若い女性の面なのだろうけど、顔立ちがシャープでわずかによせた眉根に年齢不詳な色気のただよう、かなり個性的な面でした。
シテがたいそう小柄なので、橋掛かりに現れたとき(こんな表現を使うのは誤解を招きそうだけど)幼い少女の肉体のまま年齢不詳なまでに成熟した女性、という印象を受けました。唐織を着けないのも入水をリアルに連想させて、浮舟の持つあやういエロティシズムがにじんでいたような。
謡が音楽的というか、芯のしっかりした草書体(?)といった感じで、ほーっと見とれているうちに浮舟は橋掛かりを去って行ったのでした。
「天鼓」
この日のワキ(勅使)はお幕が上がった一瞬、源次郎が若返ったのかと錯覚したほどの長身痩躯で空気をすっすっと割くように橋掛かりを進んでくる。朱・黒・金をメインカラーにした側次姿も華やかでカッコよく、声も低くてモノトーンのグラデーションみたいな深い謡いかた。ああ、脇正面にしておいてよかった。。
皇帝の意に従わない天鼓を呂水に沈めて鼓を没収したものの、どうしても鳴らない鼓。ならば天鼓の父を召し出して鼓を打たせよ、という勅命が下る。若い勅使の呼びかけに、かなり間をおいてようやく天鼓の父(前シテ)が現れた瞬間、思わずあ、と息をのむ。体が小さいのだ。特に足腰をかがめているようには見えないのに、本来のシテの身長よりふた回りも体が縮んでしまっている。向き合うワキが若木のような長身だけに、この老人を襲った悲劇が彼の肉体や生命の力をも奪ってしまったのが残酷なまでにはっきりと際立つ。
この日の小早川さんの前シテには、3年前に目黒で観た「望月」の塩津哲生の前場の煮詰め方を思い出させるような、集中力の高さを感じた。王宮に据えられた息子の形見の鼓へ歩みを進めるあいだ、生命を失ったも同然の老いた父親に長い道のりを進ませた、ただ一つの思い。「雲龍閣の光さす 玉の階 玉の床」を、鼓が鳴らなければその上で虫けらのように叩き潰されるであろう、小さくかじかんだ老人は虫が這うように進んでいく。鼓が鳴った瞬間、親子はいま再会したのだなと実感した。こわばったシテの手から、氷がとけるように撥がからん、と落ちる。肉体も表現も抑えに抑えていたはずなのに、まるで映画でも見ているような前場だった。
後シテの天鼓は朱をメインとした厚板唐織(?)に萌黄の法被姿。前場とは体格がまるで変ってしまったかのような、すらりと細身長身のティーンエイジャー。洞白作の童子の面はあどけなさの残る線の細い少年の顔で、いそいそと鼓の前に進みます。囃子が盤渉(バンシキ)になって、笛の調子が明るく高めになり全体的にノリがよくなるとともに、天鼓の舞も次第に重力から解き放たれたかのような しなやかな拍子を踏み、まさに天の川の水面を自由自在に駆け巡るかのよう。この方には強さの中に若々しさというか清潔感があって、天鼓の舞は本当に涼やかできれいだった!
ぎりぎりまで煮詰めていくような前シテの老父と、若々しく切れのよい後シテの天鼓。
シテの身体能力と表現力の幅を堪能できた、楽しい一番でした。
秋の定期公演のチケットをまとめて買っちゃったので、しばらくおとなしくしてなきゃいけないけど、夏休み明けも楽しみです♪