長岡花火大会

 地元ネタとなると、さっぱり~~のやまねこですが、十数年ぶりにようやく長岡の花火を観に帰ってきましたよ~。
 
 長岡の花火大会そのものは明治年間から行われていましたが、長岡祭りが現在のように毎年8月1日に行われるようになったのは、昭和21年からで、前年の昭和20年8月1日の晩に長岡の市街地8割を焦土と化した長岡大空襲の慰霊祭としてスタートしました。
空襲から2年後の8月2日には、焼け野原の中から早くも花火大会が復活。
そして中越地震から1年たたない2005年には、復興祈願花火「フェニックス」の打ち上げ。
 長岡はもともと戦災(戊辰・太平洋戦争)で2度、焦土と化しており、災害(2004年の洪水・中越地震・豪雪)に遭った土地であるため、花火大会も近年では特に「復興祈願」の色合いが濃いかもしれません。
 
 折りよく春の異動で勤務体系が変わり、8月2、3日にお休みが取れたので8月1日の晩に帰省。夜10時30分、長岡空襲が始まった時刻に合わせて白一色の慰霊の花火が上がりました。
 
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 やまねこ一家は8月2日は大手大橋側のフェニックス観覧席、8月3日は長生橋側で観覧。こちらはほぼ地元席状態。
みんな勝手知ったる場所だから、開始前から飲んで食べてリラーックスモード(笑)。
 
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 やまねこが地元にいた90年代は、7~10号玉の単発をずーっと続けて打ち上げて、ナイアガラ瀑布&正三尺が最大の見せ場でしたが、現在では花火自体の大型化が進み、超大型スターマインが単発花火並みの扱いに変わっていました。
それぞれのスターマインも変化に富み、2時間すべてがハイライトという感じ。
「三尺上がる前に、ちょっとタコ焼き買ってくるわ~」みたいな、ダレ場(?)がない構成です。
 
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写真におさまりきらない超大型スターマイン。
(写真下部の鉄橋(長生橋)と比較してみてください)
 
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でも、長岡の花火といえば、やはり正三尺。2日間それぞれ2発ずつ打ち上げます。
直径650メートルの花を やまねこのポケットカメラで無理矢理収めようとしたから、
かなりちっちゃく見えますが。。
毎年花火とともに夏を過してきた やまねこにとっては、正三尺こそ長岡の夏を象徴する花火。
スポンサーも、吉野川酒造とか越後交通とか「やっぱり」な企業が、単独で出ています。全ての花火打ち上げの前にスポンサーが読み上げられるのですが、やはり不況を影響して、単独スポンサーは正三尺くらいで、天地人花火のような大型花火は36社合同スポンサー。打ち上げ時間も2時間に短縮しているけど、その分、ショーとしてはかなり工夫が見られ、不況と震災を逆手に(?)、運営上の大幅な見直しが行われたものと思います。
 
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 そして、中越地震の翌年から新たに登場した復興祈願花火「フェニックス」。
この年に初めてのフェニックスを見た母から
「あの地震から1年もたたないのに、こんな花火を打ち上げられるなんて」
という電話がかかってきて、その後も毎年のように
「年々レベルアップしていて、もう やまねこの知ってる昔の花火大会じゃないよ!」
と聞かされてきたので、ずーっと観たい!と思ってました。
 規模も、信濃川下流側から幅2.7kmにわたって打ち上げるという超大型スーパーワイド。平原綾香の「Jupiter」(この花火のために3分短縮ヴァージョンを作ったそう)とともに視界いっぱいに一斉に打ち上げられた花火が、曲の抑揚とともにまるで脈打つように大きい花火、小さい花火と次々と上がり、ゆっくりと、次第に大きくなっていく光景には、本当に胸が熱くなりました~。
 
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 最大限に開いた光の花から8羽のフェニックス(不死鳥)が現れるのは最後の最後、僅か一瞬。8羽一斉のフェニックス登場にはビミョ~にタイミングが合わず失敗したけど、最後の単発ので再度挑戦したのがコチラ↑。
花火の中央の、チョウチョみたいなのがフェニックスです~~(冷や汗)。
 
 というわけで、テンション高めの地元自賛ネタ(笑)となりましたが、ほんとにすごかったよ~。よかったら来年観にきてくださいね