水道タンク・ポンプ棟(長岡市水道町)

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・竣工年 1925年(大正15年)
・設計  金井彦三郎(配水塔) ・中島鋭治(ポンプ棟)
 
 長岡の夏は暑い。雪国なのに、近年の温暖化で東南アジアばりの蒸し暑さで、そのうちバナナが出荷できるかもしれない。
そんな長岡の建築探偵は、日が落ち始める逢魔が時に決行。まるで妖怪ぬらりひょんである。
 自転車をこいでようやくたどり着いた旧中島浄水場の跡地・水道公園。あらかじめリサーチしていたとはいえ、大正期のポンプ棟の姿を目にしたときはちょっと感激してしまった。なにしろ、長岡市は昭和20年8月の長岡空襲の絨毯爆撃で市街地の8割を焼失し、特に旧市街地はほぼ壊滅状態となったので、近代建築なんてほぼ無縁の街だから。高さ41.5メートル、鉄筋6階建ての配水塔が爆撃を受けなかったのは、ほとんど奇跡といっていい。
 
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 初めてたどり着いた、「ラプンツェルの塔」。
 長岡市の水道敷設に伴って大正13年に着工し、大正15年に完成したもので、配水塔として使用されていた。その後、昭和59年から洗浄用高架水槽として使われていたが、平成5年に中島浄水場を休止したことにより、水道施設としての役目を終える。平成10年には国土の歴史的景観に寄与しているとして、有形文化財の登録を受けたとの由。
 それにしても、幼稚園バスの窓から毎日胸をわくわくさせながら眺めた、あの蔦の絡んだ姿はどこへやら。どうやら、お姫様はとっくの昔にこの塔を出ていってしまったらしい。立札によると、平成8年に長岡市が今の姿に全面改装し、夜間ライトアップをしているそうだけど、夢見る幼稚園児も滑り落ちそうな、ツルツルピカピカのなんの情緒もない姿にしてくれたもんである。(怒)
 
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入口の扉から内部を撮影。むむ、梁は木材?
・・・と思っていたら、長岡市の許可を得て内部を見学した方のブログを発見。
 
 
貴重な遺構なんだから、一般にも公開してほしいな~~!!
 
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外観からは、建物の用途が絶対わからないポンプ棟。
 
 
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 ポンプ棟正面玄関上部のレリーフ
コンクリート造りですが、なかなかがんばってるな~という仕事ぶりです。
 この施設の設計者、金井彦三郎・中島鋭治両氏のことは、ネットで調べても詳細がわからず。
これがホンモノの建築探偵団なら、長岡市役所にでも問い合わせて資料をあたるんだろうけど、
なんちゃってミーハー建築探偵・やまねこには、そこまで深追いはできませぬ。
 でもさ~、この水道公園って、長岡花火の「フェニックス観覧席」からは目と鼻の先。せっかく有形文化財になったんだし、特に長岡では貴重な近代建築(産業史の上でも貴重な資料では?)
なんだから、ぜひ一般公開してほしいです。某人気建築家が設計した市役所の新庁舎なんぞよりは、長岡のまちを知る上で貴重な資料だと思います。もったいない!
 
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 手前から監視棟(宿直室がある模様)、ポンプ棟。
背伸びをしてポンプ棟の内部を覗いていたら、カタツムリを捕獲中の近所の男の子に
「ここねー、中には入れないんだよ。夕方おじさんが帰っちゃったからだめなんだよ」
と教えてもらいました。ありがとう。(笑)
 
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ポンプ棟中庭。奥に見えるのは発電室。
 
 
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 そんでもって、発電室の窓から内部を撮影(肉眼では真っ暗です)。
おぉ~、近代産業遺跡の写真集みたい!廃墟マニアも萌えそうな仕上がりに。
 その役目を終えて20年近くが経過した機械に、信濃川対岸の西日が差し込んで、そこだけ時が止まったような、不思議に静かな光景・・・。
 
 そういえば、長岡の近代建築ネタって「日本で一番ケバい倉・サフラン酒造」以来かも。
あれはあれで楽しい探訪記だったな~。
長岡市内限定は難しいですが、機会があれば今後新潟県ネタもリポートしてみたいと思います。