雨の名前

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 ずっと待ちのぞんでいた秋の雨。外では細い櫛の歯のような雨が規則的に舗道を叩いている。雨はやまねこもブンガクな気分にさせてくれる。
 こんな冷たい雨に閉じこめられたような午後は、温かいお茶でも飲みながらフランソワと引きこもってドビュッシーラヴェル三昧。雨とピアノの音はすごくよくなじむ。
他にはヴァイオリンやクラヴサンだろうか。「弦」を使った楽器に湿気はほんらい天敵のはずなのに、両者の音がきれいに溶け合うのは面白いな~。
 
 
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 これも父の書斎から巻き上げた本。
「雨」にまつわる日本語を集めた内容で、その言葉の豊かさに、日本は古来から水とともに生きてきた豊葦原瑞穂の国なんだな~と実感させられる。季節ごとの雨に材をとった和歌や俳句、雨の日の空気まで伝わってきそうな美しい写真がたっぷり取り入れられた本です。
 
「秋の雨」を一部ご紹介すると・・・
 
秋さづい
新潟県佐渡の言葉。稲の収穫のころ降り続く雨。「さづい」は梅雨のこと。
 
酒涙雨(さいるいう)
陰暦七月七日の日に降る雨のこと。牽牛と織女が逢瀬の後に流す惜別の涙とも、あるいは逢瀬がかなわなかった哀しみの雨ともいう。
 
猫毛雨(ねこんけあめ)
佐賀県唐津市などで、小雨、宮崎県日向で、霧雨のこと。ともにこまかな雨を猫のやわらかな毛にたとえたもの。
 
後の村雨
村雨」は降ったりやんだりを繰り返す雨のこと。『連歌新式』に、「村雨は四月、八月降る雨の名」としていることから、秋の村雨を現すために、「後の」を冠するようになった。
 
 
 「猫毛雨」、かわいい~
こっちでは「小糠雨(こぬかあめ)」に相当するのかな。衣服にしっとりまとわりついて、払いづらいところも猫の毛に似ているかも。
 
 
 ところで。
 この夏、ドビュッシー展に2度も足を運んだり、クローデルの「朝日の中の黒い鳥」を読んで感じたのは、フランス人と日本人は、美意識の点でかなり相通じる部分があるんじゃないかということ。特に「水」や「光」に対する感覚の鋭さ。ドビュッシーラヴェルも、「水」をテーマにした曲を数多く作曲しているし。
戦前のフランスを体現していたようなサンソン・フランソワアメリカではさっぱりだったけど、日本で熱狂的に受け入れられたというのも興味深いです。すべての音の粒をクリアに弾かない、濃淡のあるタッチも日本人に受けた一因かも。。
 
 
・・・というわけで、本日の気分にぴったりなドビュッシーの「パスピエ
 
 最初の左手のスタッカートが雨粒を含んだ風のように吹きつけてきたと思ったら、テンポがどんどん変わって、最後までどこに連れて行かれるかわからない演奏。
すっかり中毒です。まあフランソワ本人がアル中だったんだから当たり前か(笑)。