武田同門会

イメージ 1
 
能「通小町」 (都合により観ておらず)
 
狂言「伊呂波」
 シテ   野村萬斎
 アド   中村修
 小アド  深田博治
 
能「仏原」
 シテ    小早川修
 ワキ    大日向寛
 ワキツレ 則久英志・御厨誠吾
 アイ    高野和
 笛     一噌隆之
 小鼓    観世新九郎
 大鼓    亀井広忠
 地頭    岡 久広
 後見   武田尚浩
 
能「雷電
 シテ   武田宗典
 ワキ   福王和幸 
 ワキツレ 村瀬 提・村瀬 慧
 アイ   内藤 連
 笛    藤田貴寛
 小鼓   森澤勇司
 大鼓   佃 良太郎
 太鼓   大川典良
 後見   武田志房
 
(※12月18日(火) 観世能楽堂
 
 文字通り駆け回るような師走の夕方、ひさしぶりに松濤へ。
 お能を観るのは浅見真州の「砧」以来で、しかも やまねこの好きな小早川さんの舞台。忙しかったけれど、今年はシテ舞台を全部観ることができてうれしい。
 
「伊呂波」
 途中から観たこともあって、ややこみいった筋がいまいちわかりづらかった。アドの二人は声を張り上げっぱなしで一本調子な印象。萬斎はさすがに芸達者で華があったけれど、紙のように真っ白な顔色がちょっと気になった。忙しすぎるんじゃないかしらん。容貌は全然違うのに雰囲気が万作に似てきたのが、従弟の万蔵の舞台が萬を髣髴とさせるのに通じていて、やはりこのくらいの年齢になると積み重ねてきたものが現れてくるのだろうかと興味深かった。
 
「仏原(ほとけのはら)」
 平家物語Yearの今年、小早川さんも「兼平」を演じているけれど、これは仏御前を主人公にした、とってもマイナー「遠い」(上演頻度の低い)曲。
 北陸のパワースポット白山に詣でようとした都の僧が加賀国・仏原の草庵に宿をとろうとしたところに尼姿の女性が登場する。橋掛かりに現れたシテは、純白の花帽子を被った尼姿ではあるけれど、渋いあかがね色の地に秋の草花をあしらった唐織姿がかつての白拍子としての身を物語っているようでもあるし、初雪のおりた加賀の初冬の野の姿そのものでもあるようだ。花帽子がややぴったり巻きつけてあって、小面or若女の面が目鼻がちょっとしか出ていないのが残念。。(大原御幸でももうちょっとお顔を出していたと記憶しているけど) 
 白拍子とか遊女というととかく華やかで色っぽいイメージがあるけれど、小早川さんの仏御前は純白の花帽子が楚々とした少女のような美しさを際立たせ、いつか代々木で観た千手前の出家した姿もこうであったのではと思う。片膝を立てた居グセもやさしい姿で、素顔(?)の小早川さんは痩せてゴツゴツした体型なのに、舞台ではそういう身体的特徴がほとんど消えて別の身体、女性の姿が現れるのはいつ見ても不思議で感心してしまう。「天鼓」の前シテにいたっては、完全に体格が体の縮んだ老人の姿になっていた!他の方の舞台でもこうした生身の身体が後退してお役の人物としての身体が立ち現れる姿を見てきたが、これも能の舞台の魅力なのかもしれない。
 
 例によって僧にその正体をほのめかしたシテは、清盛の寵愛に安心しきって仏御前を引き立てたために寵を失って出家する祇王の物語を通じて、「仏」御前はその存在そのものが仏への道を招いたのですと語って消え失せる。
 「千手」にしろ「仏原」にしろ、遊女たちの存在が後世での救済につながるのが興味深い。「江口」もそういうお話でしたね。中世の男たちにとって、彼女たちは救済への道に敷かれた枕木のように、その肉体を横たえるのであろうか。
・・・ここで やまねこは一時的に電池切れ状態になってしまい、アイの語りは夢の中~~ゴメンナサイ。
 
 
 後シテは小面をかけ、藤の花(?)を箔押しした生成色の長絹に緋大口、前折烏帽子の白拍子姿で、夢の続きのように静かに歩みを進めてくる。かつて祇王から清盛の寵愛を奪った若き仏御前の姿なのだろうか。
 仏原って「遠い」だけあって、筋の進行も淡々としていて見どころは後場の序の舞くらいなシブい曲なのだけど、この序の舞が本当にきれいで、袖を優美に翻す姿は、縹色の夜空に雪が静かに舞い落ちてくる情景にも似てずっと続くかと思われたが、いつものように留め拍子で現実に引き戻された。
 年々舞台の密度が上がっている方で、来年の舞台も楽しみにしています。
 
 
雷電
 この曲、何年も前に金沢で宝生流の「来殿」観たっきりなので、観世流の「雷電」は機会があったら観ておこうと思っていた・・・っていうかワキが福王和幸だったので、仏原の後で空いたお席をカニのように右にスライド(笑)。
 怪しの気配にはっと橋掛かりに目をやった美坊主・和幸の視線の先に現れたシテもかなりなんというか、金の禍々しい文様を箔押しした黒い狩衣、サラサラストレートの黒頭に悲憤に耐えぬ表情の若い男の面で、サラサラなロン毛からのぞくうつむき加減の横顔が若い頃のIZAMのようで、もう「陰陽師」の世界(笑)。生前の悲運を訴えるシテとワキが対峙している姿もなんかキレイすぎちゃって、やまねこ もー雑念邪念状態に。いかにも若者らしい気迫のこもった謡と型には好感が持てただけに、シテが美形に作りすぎるのも考えものですな。。(←人のせいにする やまねこ)
 
 宝生流では加賀前田家が菅原道真の末裔という遠慮から、前場で禍々しい詩型を見せたシテが後場では貴公子姿で登場~という上下半身バラバラなお話に改変されちゃってますが(最近、若い宗家がオリジナルバージョンを復曲)、観世流ではオリジナルどおりに後場では鬼と化した道真が、一畳台を二つ並べた舞台に 赤頭の前髪に二筋、クリスマスツリーの飾りのような金色の飾りをゆらゆらさせながら現れて、よく見るとイナヅマ形をしたそのヘアアクセサリー(?)が雷電なのでした。
 戦闘モードに入ったシテの型はキレがよく、迎え討つ和幸も気合をみなぎらせ、若い二人は一畳台をぴょんぴょん飛び回りながら戦います。直前に萬斎を観たせいか、ますます「陰陽師」に見えてきちゃう。一畳台のヘリに追い詰められて絶体絶命!の和幸がそれでもシテから視線を外さず、数珠をしゃりしゃりいわせて反撃するところとか。ワキがこれだけハデに立ち回りする曲って、他には「大江山」かなあ。。
一部地謡を除けば若手中心の、みんなすっごく張りきっているのが伝わってくる舞台で、無難にまとめようとせず、ガツーンとぶつかっていったのがよかった。
機会があれば宝生流の復曲バージョンもぜひ観てみたいです。もちろん、宝生和英氏の舞台で。