「建礼門院右京大夫集」(糸賀きみ江 全訳注/講談社学術文庫)

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 十二月ついたちごろなりしやらむ、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、むら雲さわがしく、ひとへに曇りはてぬものから、むらむら星うち消えしたり。引き被きふしたる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほどに引き退けて、空を見上げたれば、ことに晴れて浅葱色なるに、光ことごとしき星の大きさなる、むらなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に箔をうち散らしたるよう似たり。今宵はじめて見初めたる心ちす。さきざきも星月夜見馴れたることなれど、これはをりからにや、ことなる心ちするも、ただ物のみおぼゆ。
 月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる
 
 
 平家物語Year(?)となった2012年の終盤に「大原御幸」(喜多流では小原御幸)を観ることになったので、手にしたのがこの本。
 著者・建礼門院右京大夫は20代の頃平家の全盛期の建礼門院に仕え、平家滅亡後は後鳥羽上皇とその生母・七条院に仕えた女房で、昔が忘れがたいという本人の希望で建礼門院右京大夫と名乗っていたそうです。
 「建礼門院右京大夫集」は他人との贈答歌を含む約360首の和歌の私家集です。建礼門院に出仕した若き日、彼女の生涯の恋となった平資盛(清盛の嫡男・重盛の息子)との恋を軸に、平家の栄華の様子、歌人・画家としても高名な年上の恋人・藤原隆信(「源頼朝像」で有名)とも交渉を持った華やかな宮廷生活が描かれ、後半では平家の都落ちと資盛との別離、平家に殉じて壇ノ浦の藻屑と消えた資盛の死後、ひたすらその追憶に浸る日々が描かれます。彼女は、壇ノ浦で入水に失敗して都に帰還した建礼門院寂光院に訪ねており、そのあまりの落魄ぶりに「今や夢昔や夢と迷はれていかに思へどうつつとぞなき」という歌を詠んでいます。
 
 「平家物語」が男の描いた平家の物語ならば、「建礼門院右京大夫集」はいわば身内の女の眼から見た平家物語ともいうべき内容で、「恋音取」では北の方と睦言をかわす清経が 宮中ではゴーマンで自己中な女好きだったとか、「千手」で千手前の生涯を一夜で変えてしまった重衝の洒脱でモテモテな貴公子っぷりが描かれていて、同じ人物でもこれだけ違うのかというほど。平家物語や能を観た後で読むと、なかなか興味深い内容です。
 平家全盛期には右京大夫をone of them扱いしていた資盛が都落ちの直前に彼女を訪ねてきて、「こういう世の中になったからには、自分の身が長くないことは間違いないだろう。そのときはあなたは少しくらいは不憫に思ってくれるだろうか。たとえなんとも思っていなくても長いつき合いの情けで後世を弔ってほしい。たとえ命が少し永らえたとして今は決して昔の身とは思わないと心に決めているんだ」と彼が弱音をはいた別れが忘れらないというくだりなんか、ずいぶん都合のいい言い草やな~と思わなくもないけど、時代が移り変わっても男と女の言ってることってそう変わりはないんだな~と思えたり。京で平家の消息を聞きながらなすすべもなく衣を引き被って泣き伏した日々なんて、「平家物語」には直接書かれていない平家の奥方や恋人たちの姿がすごくリアルに迫ってきて、「平家」が類型的に美化している女性たちの生身の女としての感情の揺らぎや悲しみが伝わってきます。
 
 冒頭の引用は、死によって永遠の恋人となった資盛を想う日々のなか、真冬の星月夜を見上げたときの新鮮な感動が描かれた印象的な一節です。「花(はなだ色)の紙に箔をうち散らしたるやう」な星空の描写、彼女が楽の家の出であることが納得できるとともに、800年近くたった現在でもそのみずみずしい感性は少しも色褪せず、凍てつくような夜空の下に立ちつくす右京大夫の姿に親近感をおぼえます。
 能(謡曲)に親しむようになってよかったと思えるのは、古典の原文を読むことに抵抗がなくなったこと、原文に書かれた著者の微妙な感情の動きや感動がダイレクトに伝わるようになったこと。マキァヴェッリが古典を読むことで、古(いにしえ)の人を友人のように親しく感じられるようになったと書いていますが、洋の東西は違えど、その気持ちがわかる気がします。